FGOにウマ娘。毎日起動していたのに、今や起動しなくなった。通勤の電車での時間がなくなったのも大きいと思う。在宅勤務になって、圧倒的にスマホの画面を見る時間が減った。同時に、読書量も減ったのだけれど、それは意識して戻そうと思い、本を購入するようになったのだけれど、紙媒体の本が多くなった。家で本を読むのに、スマホの画面である必要性が無いのだ。重さや手の収まり具合を比較しても、一長一短だと思うのだけど、家で読むなら紙の本の方が僕は好きだ。じゃスマホゲームの代わりにPCやSWITCHのゲームをやるようになったかと言えば、そうでも無い。この違いは何なのか?
多分だけれども、本には、終わりがあり、スマホゲームには、少なくとも、サービス終了と言う終わり方以外には終わりがないのが大きいと思う。
もちろん、展開されるストーリーは工夫され、更新されるのだけれども、ゲーム部分はどうしたって、大きく変えることはできなくて、プレイヤーは作業化、ルーティンワーク化を避けるられない。この弊を補う?為に、ガチャって言うシンプルなゲームが用意されているのだと思う。いや、逆とも言えるかな?ガチャって言うシンプル過ぎるゲームに意味を与える為に、ストーリーや作業系のゲームパートが用意されている。
これって、よく言われるように、パチンコ、スロットと同じ構成なんだと思う。
パチンコも今や大半がアニメやゲームがモチーフになってるし、親和性が高いのは間違いないと思う。違いは、ゲームに勝った結果、現金が手に入るか否かで、パチンコ、スロットの方がより娯楽の範疇から外れやすいと言う点だけだと思う。このことは、解像度を粗く考えると、投資やビジネスだって、基本は同じなのかも知れない。どこかしかに不確実性を含んでいる限り、ゲーム性は否定出来ないし、科学というものは、絶対的に後付の理由でしかないのだから、投資やビジネスで行われる行動というのは、パチンコで当たらずに回す時間であり、スマホのゲームで行われる作業と同じく、望む結果を得られやすくするための行為と言う点では同じことなのかも知れない。
そのうち株式やデリバティブが擬人化される投資や、萌系キャラを作成するのが企業で流行するかと知れない。
でもさ、そうなるといつか、スマホのゲームのように、もういいやってなって、起動しなくなるかも知れない。起動したとしても、Officeのイルカのように憎しみの対象になるのは間違いなさそうだ。
もういいやって感情は、つまりはさ、飽きな訳で、哀しいかな美人は三日で飽きるって格言?が示す通り、結局のところはレア度の問題なのだろう。
チートした瞬間にゲームがつまらなくなるのと同じように、手に入った瞬間から、価値の崩壊が始まる。
要するに、期待感ってのが楽しさの本質なんだろうね。
そう言うことなら、決して叶わないけど、叶いそうな夢こそが最高のエンタメなんだろうな。