幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

ロゴス

東京都同情塔を読んだ。

読了ホヤホヤで、生々しいと言うか、反芻してない言葉で書くけど、表層と本質、意味性の統合と物質的存在、そんな話だと感じた。いや、単なる物語だし、芸能人のゴシップを報じる週刊誌を読むような、他人の人生の本来なら隠されてる部分を、垣間見るようなそんな面白味もあるのだろうけど、そんなのは実はどんな物語にも共通した性質だ。

僕らオジサンは、時として居酒屋で同い年くらいの、あるいは相手が年上なら聞き手に徹し、年下なら語り部として、週刊誌には乗らない自分の隠されている部分や、相手の隠されている部分を語り聞く。

讀書レビューをしたいわけじゃない。でも感じたこと、考えたことを残して置きたくて、特急ラビューに意味もなく乗り、なんとなく秩父へ向かう中で書き始めた。

要するに、共用物と言うのは、言葉がそうであるように、完璧には同じ価値を持つことができない。貨幣と言うのは、その物理的存在には価値がなくて、交換価値を保証しているところに価値がある、ある人にとっての1700円と僕にとっての1700円は同じ価値では無いし、同じ意味では無い。

なお、1700円は池袋から西武秩父への運賃+特急券の値段である。

東京都同情塔のテーマの1つはおそらくではあるけど、Twitter(現X)に代表されるインターネットが普及した現在における、言葉というものの性質なのだと思う。

言葉は特定範囲における共通の財産であり、ツールでもある。だけれども、同時に、ここが人間の傲慢さでもあると思うのだけれども、世界の素材になってしまっている。ロゴスによる世界。

それは時に…

あ、なんか景色が良くなって来たのでここまでにする。


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小難しいこと考えるのもある種の喜びではあるけど、ただ窓の外を眺めているだけで楽しめることよりはコストが高いのだ。