衝突?なのかな?
今に始まったことではないけれど、いろんな局面でいろんなレベルで、衝突がおきている。
個人間の諍いから、集団、更には国家、人種、文化、文明単位の種々様々な問題で諍いが存在している。
で、何が言いたいかと言うと、都市化、合理化、効率化、細分化が問題何じゃないかと思う。
凄い乱暴なロジックなんだろうけど、要するに、科学的思考癖によって神様や悪魔、妖怪、魑魅魍魎への解像度が高まり、その存在を奪う傾向がある中で、各種問題も明確化したことで同時に価値判断がくだされる。そして、その判断の基準たる価値観が神様や悪魔の存在を薄れさせたことで細分化しているので、コンフリクトが多数発生し、先鋭化しているのだと思うのだ。
松本人志のスキャンダルについても、事実がどうかはわからないけど、まぁやってるよね。で、それが良いか悪いかだったら、悪いことなんだろうね。でも、正直に言えば、羨ましいってのが、僕の本音。でも、もっと本音を言えば、どうでも良い。
よく、表現として、「親を殺されたかのように」と、人が抱く恨みの強さを表現するけど、毒親の問題とかもある中、この表現も誰にだって通じる表現では無いと思う。同じような意味で、松本人志が何をしていようが、僕には関係ない。被害者と言われる人たちに、そう感じる人達に同情なり、共感する部分も無くは無いけど、今騒がれているほどに関心もなければ、心の入れ込み方としても、個別具体的な感情を抱くこともできない。むしろ、たった一度、一日だけ旅行で訪れた石川の名前さえ知らない人たちへの同情なり、共感を抱く。それは当然のことで、地震という誰もが被害者になり得る現象と、松本人志のスキャンダルの被害者は共感し得る規模が違う。
ってなるとさ、なんかね、もちろん被害者の人にとってはどちらが悲惨かなんて関係なくて、等しく悲惨なんだろうけど、それを言ってしまうと、京アニの被告にも同じ事が、理屈としては成り立ってしまうと思うのだ。でも、僕はそれを認めたくなくて、刑法39条なんて無くなればよいと思っている。
ま、そこまで極端なものは、今回の書きたいことと外れるから、言いたいことに戻る。
要するに、ロジックと感情の乖離がいろんや問題の源泉なんだと思う。感情って大事なんだけど、感情はさ、コントロールされやすくて、理屈との相性が非常に悪い。
論理と感情のコンフリクトが多分世界の問題の源泉なんだと思った。