幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

生きる

大きなテーマ且つ多分答えのない、答えようのないテーマだ。

 

思えば、哲学を志したのもこのテーマが最大の理由だし、中学生の頃、初めて自分の進路を考えた時からぼんやりであったとは言え、心を常に一定量割いて来たテーマである。

 

簡潔に言えば、きっと生きる目的なんて勘違いだし、ドグマでしかなくて、究極的には「やりたいように、生きたいように生きる」が答えだと思う。

問題はこの「やりたいように」がわからないのだ。

 

食べて、エッチなことして、眠れていれば、多分人は飢えを感じる事はないと思う。

問題は何を食べて、誰とエッチして、どんな環境で眠るか、なんだと思う。

 

きっと、生きるって言うのは、こう言った欲求との付き合い方の問題なんだと思う。

 

パンとサーカス

ローマの皇帝が民衆を統治した世相を揶揄した表現。サーカスといえば平和な印象だけど、その実は、闘技場における命のゲームだったりする。

それはなんか、日本のワイドショーがウクライナの戦争を芸能人の不倫と同じ顔して「報道」しているのに似ていて、遠いどこかで起きている不条理な暴力に対して、正義の怒りを刺激し、同じロジックで芸能人の不倫に対して怒りを助長していて、それは多くの人にエンターテイメントとして消費されている。

 

Twitterを見れば、交通事故の被害者を攻撃する言葉を発する者、そしてそれを叩く者。芸能人や著名人だけでなく、匿名性の盾の裏から参加型のエンターテイメントに参加して、実際に相手を目の前にしたら言えないような言葉を考えなしに発言し、承認欲求を満たす為に、下手すると社会的な評価さえ犠牲にして自ら地獄のような世界に飛び込んで行く。

 

僕らは衣食住が足りたり、究極的に困窮すると、途端に欲求との付き合い方に混乱というか、行き過ぎた行為が生まれてしまう。

 

様々な偶然と欲求から産まれたアイスクリーム。恐らくは困窮と欲求を極めて産まれた蒟蒻。

きっとこれらもある意味で行き過ぎた行為が産んだモノなのだけれども、最近の行き過ぎた行為に比べるとまだ食欲に根ざしているからか、微笑ましさすら感じる。

 

然るに、昨今の行き過ぎた行為についてはどうだろう?

 

過激なヴィーガン地球温暖化に対する過激な抗議は、なんたら原理主義者と変わらない。Twitterで燃える為に攻撃的になる人は、承認欲求原理主義者と言えるのではないかと思う。

 

でもさ、そりゃ地球の温暖化問題は人間だけじゃなく生き物に影響与えるし、ヴィーガンだって、それを僕に強制されるのでなければご自由にどうぞってものだから、承認欲求原理主義者であっても別に良いのだけれども、なんかそれを、一部の行き過ぎた普通の人を報道すること、エンターテイメントとして消費することで、過剰に世界に対して悲観的になってしまうのではないだろうか?

 

そりゃこうも毎日のようにドライブレコーダーのとんでもない映像見せられたら、若者だって車から離れるわ。

 

もっと本質的なものにフォーカスしないといけないのだと思う。

 

マトリックスの世界では気付いてしまった人を籠絡するためにシステムはより良い夢を与えた。世界の王にするとかじゃなくて、良い生活と良い女で籠絡される。

 

多分、それって賢い事だと思うのだ。

決して、幸せかどうかなんてわかりゃしないけど、でも、それが生きるって事だと思う。

 

それなりの生活と、良い女。何が良いかは人それぞれだし、女ってのは、昭和生まれのオジサンである僕にとっての価値判断だ。

 

日々不安になるような美女に愛されるより、自分が愛する人に愛されたい。

 

なら、僕はまず人を愛することから始めなければ幸せにはなれないんだな。

 

そうか、僕は、僕には新たな愛する人が必要なんだ。

 

性欲から若い頃には基本的には、異性を愛する。同性である場合もあるだろうけど。その結果、子供が生まれれば、今度は子供が、孫が愛の対象になる。

 

独身男性の平均寿命が短いらしいが、それは健康面での問題が、直接的な原因だろうけど、その背景には、愛する対象が少ないことにあるんではないかな?

 

ってな感じで、そろそろ独身のまま人生を終える覚悟をし始めた僕が考えて見た(笑)