幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

8050

最初見たときはなんの事かと思った。

でも、すぐに80代の親と50代の子供って気付いた。なんか絶妙にオシャレっぽい表現にイラッとした。

 

失うものがない人を、無敵の人と呼んだりするけど、守るものがある強さと失うものが無い強さのどちらが強いかなんて、もう何度も、それこそ手垢がついてしまう程に物語で扱われて、都度、答えが出されている。

 

でも、それって、その答えって、時代の支持率で裏返るものなんだろうな。僕らが生きていた、失われた○年って時代は、いろんなものが失われていく中でも、それでも失われないものを信じられていたから、守るものがある強さが勝つ結果が多かった気がする。

 

エヴァンゲリオン辺りからかな?勝ち負けが曖昧になって来たのは。

 

で、おそらく今の時代は、失うものが無い人の方が強いって結論に陥り易い、つまりは持つことに執着しなくなって、サブスクリプションサービスが流行る、所有に対する疑義の強い時代なんだろうな。

 

でもさ、考えて見ると、守るものがあるって言う守るものは必ずしも所有しているものに限らないのではないかと思う。

 

川崎の事件で亡くなられた外務省の人が守りたかったのは、もちろん娘さんなんだろうけど、娘さんだけじゃ無かったはずだ。そして、万が一にも娘さんだけを守ろうとしたとしても、彼の娘は彼の所有ではないはずだ。

 

その前提に立って考えて、ホスト殺した美人の犯人やその血まみれの写真、名古屋のヤクザ同士の喧嘩動画とか、共有しちゃった人に共通する、社会的生き物としておかしな感覚。人が目の前で死んでいて、スマホを構えられるその神経こそ恐怖を覚えないか?

 

所有することに興味の薄い、サブスクリプション世代と言うか、バイトテロと呼ばれる狭い世界での称賛に対する渇望、アマゾンで流される、松本人志のドキュメンタルみたいに、内輪ネタがわからなければ笑えないお笑いが人気を得てしまう世界こそ、無敵の人を育ててはいないだろうか?

 

と、まぁ8050まであと10年しか無い僕が言って見ても説得力は無いかな?