幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

抑止力

ウクライナの問題。

これって、つまりはさ、抑止力の敗北なんだと、僕は思うのね。

 

太平洋戦争の時の日本がそうであった様に、日本で社会の枠組みから外れた無敵の人が起こす凶行のように、抑止力ってのはさ、共通認識の上に成り立つものだと思うのさ。

 

そう考えるとさ、僕もね、例えば、考えたくもないのだけれど、家族や友人が不条理に殺されたり、傷つけられたりすればさ、結構簡単に世間から外れてしまうと思うんだよね。

 

人を傷つける事は悪い事だしさ、それはさ、人だけじゃないだろう。無駄に他者、他の存在を傷つけるのはさ、良くないことだと、僕は思うのね。でもさ、そこも確信を持ててはいなくてさ、猫が食べるのでも無しに狩りをするのを見ると業ってのはさ、人にだけあるのだろうかって、疑問に思うのだけどね。

 でもさ猫が無邪気に狩りをして、獲物を捨てるのを、責めたりはしないのは根本的に、距離感なんだとは思う。ゴキブリを猫が狩る事に、猫を飼っていない僕は、ある種の称賛を送るのだが、命が同じ価値が有るのであれば、これはさ、かなりの矛盾を含んでいてさ、僕は自分の手を血に染めることも無く、命を奪うのは良くない!と言いつつ、肉汁溢れるステーキを美味しいと思うし、食べたいと思う矛盾と同じだろうと思うのだよ。

 

それって、猫が狩りをして、獲物を捨てるのとなんの違いがあるのだろうか?食べるだけ無駄にしていないって自己弁護もなんか虚しいよね。

 

ここでね、多分だけど、無敵の人と僕らがあまり変わらないって事に気付くべきなんだろうなって思う。

 

僕らの価値観は、きっとスベカラク、ドグマで、善悪についてもさ、僕らはさ、正義を自分の外にあるものと思い過ぎてはいまいか?

 

突き詰めた議論もない、なんとなくのフンワリした価値観と言うか、神話的な、論理的な裏付けのない、なんとなく皆が描いている世界観と言うか、きっと勘違いなんだけど、分かりあえていると言う誤解があるのにも拘わらず、ドグマでしかない正義を、理屈を、信じ過ぎなんではないのかな?

 

誰一人として、不幸な、意に染まない事が発生して欲しくは無いのだけれども、じゃ僕とコンクリフトを起こしたら、100%僕は自分を押し通そうとする。

 

 

あ、あのね。ここまで書いて飽きた(笑)

 

で、いまさ、高崎から新幹線ハクタカに乗ってるのね。2歳になる甥っ子が新幹線大好きってのもあってさ、お金のこと考えたら無駄なのはわかっているのだけれど、なんか、タバコも吸いたかったから乗っちゃった(笑)

 

んでね、わかった事が1つある。

 

世界平和とか、立派な事が言葉として存在するけどさ、結局の所、DV受けてる子が言うような、優しい時もある、みたいな、そんな感じで世の中って存在してるんじゃない?

 

だからさ、僕はワガママにウクライナの問題をさ、誰もが血を流さずに収まれば良いと、自分勝手に、ファンタジーのように、今でもさ、願うよ。

 

人が、猫と違うなんてのも、僕は思わないけどさ、でもさ、きっと僕らはさ、後悔するんだよね、なんであんなことしたんだろうと。後悔先に立たずとは、よく言ったもので、きっとそれこそが、業なんだろうね。

 

これはさ、答えではなくて、思考のプロセス。

 

何かしら、絶対ってのが、今後、もし、僕に生まれたら、そんときには否定される、今の思い。