酒のんで、前後不覚程には酔わず、でもよく喧嘩売られたら買うくらいの理性の飛んだ状態が生きている実感を得られるんだよね。
この状態が良くないなはわかっているのだけれども、でも、今の僕の現実。
つまりはさ、命の、社会的な命も含めて、死を意識することで、生きている実感が得られるのであれば、世界は相対的なものなんだと思うのよね。だとしたらだよ、今僕らが信奉している価値観などは、全て虚しいのだと思う。
絶対の価値観。人はそれを求めて苦しむ宿命にあるのだけれど、きっとそれはドグマでしかなくて、ドグマを持つ人は、他者からは蔑まれるけど、きっと幸せな人なんだろうな。
ウクライナで意味もなく死ぬ人がいてはならない。死が近い状況にあるウクライナでさえ、死んで良い人はいないのだ。ましてや、平和ボケしている日本においては誰ひとりとして死んで良い人間などいるハズもないのだけれど、あおり運転する奴らは死んで欲しいと願う自分がいるのも否定できなくて、なんかさ飽和しそうなんだよね。