幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

成功事例

成功の定義はそれぞれで、あらゆる制度は最大多数の最大利益を担保するように設計されている、と、思うのだけど、多分、現実的にはそうではないだろうし、おそらく最大多数の最大利益からこぼれてしまう人達がいる。

と、言うか、似たような事例はいくらでもあるけど、全く同じことなんてあり得なくて、それはつまりは解像度、あるいは粒度?それを荒くした、グラデーションのある共通点でしかなくて、改めて言うまでもないのだろうけど、人生は、その人にしか帰属しないし、そこには自己責任論では無いけれど、最終的にはさ、それってあなたの感想ですよね?って言うところに帰結してしまう。

 

ならば、だよ?ヒロユキが言ったこのレスバにおける、究極奥義とも言える言葉は、逆に言えば、それこそが、世界だとも言えるのだと思う。

 

在宅勤務になり、はや4年。オフィス勤務時からイヤホンで耳を塞いで仕事に没頭することを許された仕事ばかりしてきたけど、その間に僕は自分の世界が拡大したというか、僕の世界が、世界であるという思いを強めてしまった。

 

多分、間違いなんだとは思ってはいる。

でも、正解である必要もなくて、僕が僕でいる間だけでも、その理屈で世界が運営されていれば、僕は上手いこと世の中?世界を生きて行けるのだと思う。

 

で、だよ。

僕の感じている、成功事例ってのはさ、多分世間一般のそれとは違うし、おそらく全く同じ成功の定義なんてなくて、どこかしかに複数のベクトルに対して、同時に高い数値を満たすものが成功として認識されるものなのだと思う。

 

スクルージがクリスマスキャロルの中で、不幸な老人として描かれているが、貧しい老人の方が現在では不幸と判断されてはいないか?

 

要するに、価値のベクトルの、しかも、複数のベクトルの、総合的な幸福度ってのを求めるとさ、きっとそれは、幸福ではあるのだろうけど、きっと気付き難いものなのだろうと、思う。

 

父の病状は、まぁ悪くはないのだけれどもね、でも、これまでとは違う生活を要請される。その影響を考えると、僕は幸福なのか、不幸なのか自分では判断出来ないし、他人からも判断できないだろうなって思う。

 

ならさ、僕らは馬鹿みたいにハッピーであるべきなんだろうと思う。だから、敢えて言うよ。

 

僕は幸せだよ。