幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

父危篤

脳梗塞だそうな。

生死に関わる病状ではないものの、かねてからの末期癌もあり、予断は許さない状況ではあるのだけれど、なんか覚悟が決まってしまっていて、慌てふためく事は無かった。と言うか、現在進行形で慌てる気持ちは無い。

ただただ、後遺症やら退院後の母の苦労を思うと、気が重いばかりだ。

父は古い人だからってバイアスをかけて見てしまうのが、そもそも良くはないのどろうけど頑固で、昨日も朝から湯呑落としたりしていて、母は、その段階で病院を勧めていたのだけれども、それに従わず、散歩に出て救急搬送されている。

結果、その通り脳梗塞で、緊急入院してICUに入っている。面会も謝絶されながらも病院スタッフに家に帰りたいとゴネて昨晩22時頃に母のスマホに着信するほどのワガママっぷりだ。最近は認知症の気もあったから、その影響は否定できないけど、だとしてもだ、さすがに現実認識が甘すぎるしそれによって迷惑する家族の存在を蔑ろにし過ぎている。

言ってはならないことと重々承知の上で、そんなんなら勝手に死ねば良いと言う言葉が頭をよぎり、今、僕はそれを必死に打ち消そうとしている。

 

無条件で生きていて欲しいさ。そして、いつか、いつの日にかは、穏やかに幸せに、この世界を旅立って欲しい。父が亡くなる事があれば、母を慰める言葉として、父は幸せだったと、母に出会えて幸せだったと言いたいが、今の状態ではお疲れ様と言いそうで、それはそれで凄く嫌な想像だと思っている。

 

でも現実は後者に近く、不安と同時に怒りに近い感情が僕には芽生えていてさ、ロクデナシの息子だから、いや、だからこそかも知れないけど、子煩悩な父に意見できるのは僕しかいないとも思っていてさ、それはそれて、気の重い話だったりする。

 

で、まぁ父に意見できるかどうかって考えている僕は、親孝行な息子とは言えないのだろうな。

 

正しいと思うこと、思った事が、正しくなかった経験と、それを反省して嫌な気分になった経験と、何もできずに後悔した経験量で言うと、僕は自分が正しいと思って行動した結果、後悔した方が多いらしい。

 

これからも、そういう自分で有りたいと思う。可能であれば、結果としても正しかったと思える賢さが欲しいのだけれどもね。