幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

2022

あけましておめでとうございます。

去年は年末の総括的な記事を書き忘れちゃったんだけど、一言で言えば社会復帰。

もちろん、今まで一度たりとも社会に属してなかったことなんてないんだけどさ、でも、なんか、やっぱり社会復帰って言葉がしっくり来る。

年収で、何かが変わるなんて思うのは間違いなんだけど、年収がピーク時の7割位になった。

それで、生活が贅沢になったかと言うと、多少はなった。派遣社員契約社員で働いていた頃は、未来を考えるのが怖くて、ともすれば、僕はまた、あの生きている実感はハンパないけど、常に一寸先は闇と言うか、無、って言う若い頃の一時期よりも、それこそ、生々しく将来に関する漠然とした不安によって、常に死が隣りにあった生活から、もしかしたら世間様から幸せそうって思われる生活を期待できる今は違うってのが、実感できた一年だった。

 

これさ、問題点はね、言うまでもないんだろうけど、怖い人達に近いトコで、生きてた若い頃よりも、30代後半で経験した非正規で生活していた時期の方が、恐怖心が強かったってのと、もしかしたら、今の若い人は、僕がより恐れた世界を生きているかも知れないってのが問題だ。

 

それは、日本社会における若さの捉え方の問題だと僕は思うのだよ。もしかしたら、僕の捉え方の問題なんだろうけどね。

 

歳をとったって思うことは、多々ある。でもね、その中で一番キてるのが、性的な能力の減退だと思う。

 

いやね、ヤラシイ話をしたい訳ではないのだけども、ちょっとセンシティブな内容になる。

42歳。人生50年って言われていた時代からしたらさ、そろそろ終末を意識する歳だよね。でも、今や人生100年とか言うじゃん?そして、父や母には、100年生きて欲しいと願うのだけど、でも流石に、夫婦仲良くとは願うが、今更弟や妹ができたらかなり複雑な気分にはなるし、生物として、それはないと思うのだ。でもさ、僕が今更、結婚やら恋愛やらしてさ、子供が出来ても、人生50年の感覚からしたらさ、70超えた父母が男女の関係にあるのと似たような、こう、なんて言うか、ある種の笑い話って言うか、今更感はある。

でもね、新年の挨拶に来た甥っ子見たらさ、うるせー!カワイイは正義!って思う自分もいてね、なんとも微妙な状態になったんだよね。

 

もうね、甥っ子の為だったら何でもしてやれる。近しい気持ちとしては、塾の先生してたときに感じたのだけれど、やっぱ子供はカワイイ。と言うか多分、未来は輝かしいものであるんだと、僕は思うのさ。そう思わせる様に、僕らはさ、責任を負っているんだと、思うのだよ。

 

でね、そろそろ、2022年に初めて酒飲んで、キマりそうな今さ、僕はさ、幸せなんだな。少なくとも、退屈では無い。

 

楽しいかって言うと、微妙ではあるのだけど。

 

ビールをチェイサーに、関東平野の北部の山々を眺めて、温かい電車の中で、高性能ノイキャンイヤホンを使っていてもさ、車内のどこかしかから聞こえる矯声を心地良く聞いている。それを聞いて、若干のヤラシイ気持ちと、その矯声を聞いて、オジサン、関係性のオジサンとして甥っ子に感じた愛情に近い感覚があるのだ。

 

僕がエッチなことを出来なくとも良い。でもね、僕が関わる全ての存在が幸福であって欲しいと願うのだ。なんかさ、表面上かもだけと、誰かが幸せでいてくれることが、僕の幸せであるって、その思い込みが僕の幸せでなんだろうなって思う。

 

で、そのために、ぼくはこの体や精神を、どう使って良いのかがわからない。

 

それをさ、求めるのが人生なんだろうなって、思うようにした、たった今ね。

 

誰かに評価されるより、自分自身が自分を愛せるようになろうと、ぼくは思ったよ。

 

オナニーでは無い自分の愛し方、それが大事なんだろうな。

 

今年もよろしくお願いします。