言葉が集まって、人まとまりの、複雑な意味を成すのが文章だとする。この場合、言葉は材料で、文章は料理や製品と言えるだろう。
原油は販売単位が1バレルで、1バレルが158リットルくらいだから、つまりはだよ、ガソリンにしたら45リットルくらいになる。その過程は、精製だけではなく添加があるからイコールでは無いのだけれども、これは分解精製って言うプロセスと言えると思う。ある物分解して、組み合わせる事で価値を、意味を、生む、そんなプロセスだ。
つまりは、この2つの方向性と言うか、なんと言うかは、演繹と帰納に近いベクトル?方向性の違いがあるのだけど、同じ地平にある両端というか、ある種のフレームワークって言うか、構造の原理というか、認知の原理?とにかく、アルキメデス以降のカテゴライズへの信奉を根拠とすれば、同じ地平で語られる事の多い異質な存在なのではないかと、思いついてしまったのだ。
何を言っているか自分でもわかっていないのだけど、ありのまま語らせてもらえば、なんかさ、人はさ、もっと自分の感覚に自信を持つべきだし、同じだけ他人の感覚とその評価に敬意を持つべきだし、無視すべきだと思うのだよ。
ん〜本当に自分が何を言っているのかわからなくなってきた(笑)
最初に言いたかったのは、どこぞのオーナーシェフがテレビの同性シェフの発言で困っているって話から、くだらねぇ事でガタガタ言ってんじゃねぇよってのを言いたかったんだけどね。
なんかさ、人間が貧しくなっているような気がしてさ、それが心配だったんだよね。
シラフのときには書けないのだけれど、もうちょいマシなときに同じテーマで書こうとは思う。
クスリキメて気持ち良くなって死んでしまうのと、全人類を救うために死ぬのとの違いが、僕にわかる時が来ることを願い、今日は終わろう。