幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

恋の終わり

45にもなって恋もないだろう。

が、まぁ事実恋の終わりを体感したので、書く。

一昨日、福岡にいた。厳密には博多なのかな?とにかく、生まれて初めて九州に降り立った。降り立つなんて大仰な表現を使うべきかどうかなんて思うところもあるのだけれど、僕にとってはまさに降り立ったなんだ。

今から十数年前、僕は恋をしていた。

インターネットが普及して、いわゆる出会い系的なサービスが社会問題になって来た頃、出会い系ではないけど、ネット上で出会った人に僕は恋をした。

彼女は博多に住んでいて、僕は彼女に会いたくて、でも会えなくて…会いに行くかどうかをいろいろ話した気もする。当時の僕は、今思えば、稼ぎは悪くなくて、馬鹿みたいに残業して、休日出勤もバッチ来い!で時間をお金に変えることに喜びを見出していた。

金の問題ではなかった。もしかすると、当時はお金の問題を理由にしていたのかも知れないけど、会ってしまうことで恋が終わるのが怖かった。

その恐怖心からか、その彼女と連絡を取らなくなってから10数年経ってやっと九州に降り立った。

そして、恋がやっと終わったんだと思う。

男は別名保存で女は上書き保存ってのはよく言ったもので、きっと彼女は気にもしていないだろうし、僕だけが、気にしていたのだけど、今しがた安全圏からメールして、このブログの内容と同じようなメッセージを送ったのだけれど、まぁ反応はないわな。

ま、即応されてもなんか幻滅するだろうめんどくさい自分は自覚しているのだけれど、それもこれも含めて全部終わったスッキリ感がある。

ホント自分勝手だとは思うけど、でも、やっと終わった。

もうとっくに終わっているはずのことが、自分の中だけで終わっていない辛さ。やっとランボーの気持ちがわかった。

そして、さらにわかったことがある。

男は別名保存であるってことの証左にもなるのだろうけど、終わってなくても、新しい事は始められる。

そして、僕は客観的には終わっていて、いや、むしろ始まってすらいないのかもだけれども、やることだけやってる関係に対して、全部スッキリさせたいと言う欲求が湧いて来る。

 

でも、その中でも終わらせたくない相手がいる。ラストモディファイが数年前のものもあれば、数ヶ月、数週間のものもあり…

 

結局のところ、僕は僕でしかいられないのだろうと改めて確信した。

 

何を言いたいのか自分でもわからないのだけれども、でもまぁこれが、今の僕の現実なんだろうな。

 

たぶん。