これさ、あれね、週明けにプレゼンするので、そこで使うフレーズ考えてたらできた文章なのでメモ程度に残すね。
塾の教室長の仕事ってのは、教育というよりは、カスタマーサクセスの仕事で、もちろん授業することもありましたが、メインは生徒保護者との面談やコミュニケーションなんです。具体的に何をしているかと言うと、要望を聞いて、そのためのソリューションを提案します。
で、要望ってのは、学業領域には限られるのですが、必ずしもそればっかりではなくて、時に、生徒からはどう生きたら良いかなんて、私にもわからない相談受けたりもするのですが、まぁメインは学業領域に限った、どちらかというと、受験にまつわるアレコレが多い訳です。
こう言っては何なんですが、東大合格さえ実はそれ程難しいことでもなくて、合格基準も明らかだし、それに至るカリキュラムって言うか、細かいプロセスも確立されています。
要は、その基準とその人との現在地の乖離が難易度であって、多くの人にとっては、その乖離を埋める努力が大変ってだけで、実は東大合格は、詭弁に聞こえるかもしれませんが、これって言う正解やルールのない、恋愛して幸せに過ごすことよりは簡単な事です。
でも、多くの人にとって東大合格の方が難しく感じてしまうのは、もちろん、それぞれの現在地からの距離が明確にわかる事もありますが、何よりもそこに至るまでのプロセスが退屈でしかないからです。
ゲーム理論について、詳しくはしらないので、間違っているかもしれませんが、ゲーム理論ってのは、要するに特定のルールの下でランダム要素を含むルールのもとで、如何にそのゲームで言うところの勝利に近づけるかって言う話なのだとしたら、まさに受験はルールで、雁字搦めされた競争なのに対して、恋愛ってのは、そもそもで、ルールもなければゴールもない。そもそもで、ゲームですらないのに、何故かゲームっぽく語られる。
あ、いや恋愛について語りたい訳じゃないんですよ!
恋愛に限らず、受験なんかより難しいアレコレあるじゃないですか?
それこそ、ご近所付き合いだったり、社内政治だったり。
そんなものより、簡単な東大、京大合格。要するに、何を大事と思うのかって言う、そんな単純な価値観の違いで、世界の見え方が変わるんだよって、それを、僕は、今更ながら思った…いや、ごめん、実はもっと大事そうなことに近付いた気がしたのだけれど、もう考えるのが面倒くさくなって、まとめようとしているのを自分自身で感じる。
あぁ、考えても疲れない自分が欲しい。簡単に気持ち良くなれちゃうエッチなことに逃げない自分が欲しい。と、言うか、そこから逃れるために、家を出て、用もないのに地方のローカル線に乗って、酒飲んでるのに、無性にムラムラしちゃう自分が嫌だ(笑)
結局の所、前々から気付いてはいたのだけれど、ご飯が美味しく食べられて、えっちな事も、誰かと時々できて、愛されているとか、必要とされているとか、そんな実感が持てて、眠りたい時に眠れる環境が、最高の幸福なんではないのかな?
なんかさ、そんな都合の良い社会にならないかなぁ?
自分で頑張ってそんな世の中にする気は毛頭ない僕が思って見たよ。
いや!こんなこと社内のプレゼンでは言えないのだけどさ(笑)
でも、ある意味で、僕の見ている世界が不完全ながら言葉にできている部分もあるのでこのまま公開しよう。