「お前が向いてる方が前なんだよ。」
若干の怒りとともに僕は彼にそう言った。
もう、何年前になるだろう?僕がまだ、塾の先生としてやる気に満ちてた時だから、10年も前の話になる。
中3の彼は、ウチの教室では珍しい学区外の生徒だった。不登校ではないけれど、学校に馴染めずに学区の塾では心理的に通いづらいということでウチに来てくれた子だった。
隠すことではないのだけれど、あまり大っぴらにされていない事として、一部私立高校には塾推薦なる制度がある。通常、高校受験での推薦と言えば、学校の評定平均やら合計を基準としたものがあるのだが、件の子のように訳あって思うような評定を得られない子達は極稀に利用することがある。
その基準は学校によりけりなんだけれども、大体はいわゆる偏差値の出る業者テストで、「偏差値○以上を何回」みたいな基準を設けており、ハッキリ言ってしまうと、偏差65以上とか言われない限り、不正もなくどんな子であっても、その基準を超えさせることは可能な程度基準を設定している。
だからと言うわけではないけど、もちろん塾推薦なんて制度は募集要項なんかには載っていないし、試験も他の一般推薦の生徒と一緒に受験する。そして、その合格率は余程のことがなければ、ほぼ100%だった。前置きが長くなったが、冒頭の僕の言葉は、塾推薦を使ったものの余程の事が起きて落ちてしまった子に向けて僕が言った言葉だ。
落ちた理由は、先方の先生から聞いた限りでは面接中の問で「あなたな短所は?」と言う問いに、「自分は後ろ向きなところがあり、キレると何をするか分からない」と言ったとかなんとか…
当時、神奈川県内の私立学校で授業中にキレた女子生徒が同級生を刺し殺す事件が起きたばかりで、学校側としてもそう言った生徒に対してセンシティブになっていた。
それを聞いた僕は当然、あぁやっちまったかぁと思った。その言葉を聞いたのは初めてではなくて、面接練習をしていたときに聞いて、時世的な背景もあり強く直したところだった。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
彼の受験のリスクとして明確にわかっていたポイントでもあったし、彼の普段のテスト結果からして、入試問題の得点が文句なしの合格水準では無いことも予想できていたから、特に入念に対策をしたつもりではあったけど、まさに付け焼き刃。いざって時には、よりいい慣れた言葉が出てくるものだ。そこまでわかっていての結果だったので、僕は自分に対しての怒りを禁じ得なかった。
冒頭の言葉は、まだ打ち消せない自分に対する怒りと、正直に言えば彼に、彼の性格に「後ろ向き」と言う言葉を与えた環境に怒りを抱いていた。
何でもそうだと思うのだけど、意味や価値なんてものは後付でしかない。例えば、4と7だったらどっちが良いということもないのに、パチンカスの僕は7のほうが良いと思ってしまう。そりゃ量的に多いのは7だけど、なら8ならもっと良いかと言えばパチンコでは7が確変確定だったり、7のテンパイは当たり確定だったりと、経験から7に対する過剰な意味を見出しているに過ぎない。量的に多い方が良いのなら、100キロ近い体重の僕がモテて良いはずだし、希少価値なんて言葉すら生まれないだろう。でも現実には希少価値もあれば、パチンコ打ってれば僕は7テンパイを期待する。
世の中はそんなものだとしてさ、その価値観の偏りってのはさ、誰にでもあるし、自分だけが特別でも無ければ、異常でもない。だとすればだよ、僕は自分が向いている方向が前だと信じて進んでゆくしかないよね。価値観、つまり向いている方向性が変われば、前も後ろも変わるけど、僕らは前しか見えないのだから、どこに向かって行こうともさ、それは前向きなんだよね。