幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

○年に一度

世界は相対的である。

現在地を知るのにどうしても、他の存在が必要になる。自分って単位さえ、他者の存在なしにはあり得ない。デカルト?だったかな?我思う故に我ありってのはさ、さらに言えば、思う他者があるから我ありとも言えるのだと思うのだ。

 

千年に一度だとか、百年に一度、十年に一度、四年に一度。時系列的に一度って言う表現が流行し、ある意味で定着した。

 

僕の中では、橋本環奈の千年?に一人が決定的だったように思うのだが、実はそれ以前から気象関連業界では多用されていた様に思うのだ。

 

時系列的な地平と、平面的な地平、前者だと歴史に対象を求め、後者は世界に、他の国や地域に対象を求める。

 

つまりは時系列的な比較が流行るのは、地域的な比較の価値が下がったからではないだろうか?

 

それはつまりは、世界が平坦になった証左ではないだろうか。

 

ここで言う平坦ってのはさ、僕の顔みたいなわかり易い平坦さでは無く、ある種の同じ価値地平での、狂信的な平等思想に裏づけされる概念的な、どこにも現実的には存在しない、人間に根差した有り得べき姿を基準にして、語られる平坦さだ。

 

人は、それぞれに、悩みがある。

例えば、アフガニスタンの首都が陥落するんではないかと戦々恐々としている人もいれば、ここ数年、sexしてなくて、来るかわからない次の機会に上手くできるかを心配している僕もいる。つまりは僕なのだが。

と言うか、なんだったら、その2つの悩み、2つどころかもっと多くの悩みを抱くのが人と言うものだろう。それは価値観の差で、もっと言えばそれを高低差で捉える段階である1つの直線上の価値観ってのは、実はあまり価値が無いのではないかと、僕は、思うのだ。

 

エッチなことが、たぶん好きで、かと言ってそれだけを求める訳ではないし、じゃあさ、世界平和を願うけど、たぶん、今、目の前で、エッチなチャンスがあったら、世界平和はどうでも良いことになる。それが僕で、きっと世間の普通の人なんじゃないかな?

 

愚かだと、自分でも思うのだ。でも、きっと愚かだと言う自覚はなくては、向上の意欲は湧き得ない。でもさ、きっと自分が愚かだと思っていたら世界との関わりは積極的には持てないよね。

 

向上心を無くしたら、夏目漱石じゃ無いが、馬鹿だよ。

 

でもさ、世界が平和で無ければきっと、僕はエッチな思いを抱けないだろう。つまりは各価値観で優先順位があって、いわゆる、前提条件なのだけれど、そんな共通認識の違いが世の中の、矛盾やら相反やらってものの原因なんだろうとは思うのだ。

 

いやさ、だからって僕が今の僕のアーティツゥードとかムーブを変えるわけじゃないのだけど、まぁ世界はそんなもんだって思って、立脚点を得ることには、たぶん価値があって、そんな世界に対して自分がどう動くかってのが、きっと今の世界では求められているんだと、僕は思うのだ。

 

自分でも、落とし所がわからないし、そろそろオーダーしたチーズバーガーが来るので強引に落とすけどさ、要はさ、世間的には価値観なんて相対的なもんなんだから、自分のやりたいように生きるしかないんでないかい?ってことを言いたかったのですよ。

 

チーズバーガー来たのでこの辺で。