幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

切抜き動画

少し前に言ったと思うけど、最近、vtuberにハマっていてね、そこで気付いたと言うか、思った事を書こうと思う。

 

やっぱね、音楽が好きで、vtuberの歌とか聞いてしまいがちなのだけれども、歌の上手さだと、多分、僕の知る限りで言えば、町田チマなんだよ。でもね、じゃあ彼女より歌の上手い人は、vtuberってカテゴリを超えればいくらでもいるし、これはあまり言いたくは無いのだけれども、僕はスケベなオッサンだから、カワイイ女の子がアドバンテージになってしまうのだけれども、それにしたって、スーザン・ボイルには感動する…彼女の場合は、性格悪い事言えば、ビジュアルやら来歴やらもスパイスにはなっていたのだと思うのだけれど。

 

いやね、その延長で言えば、きっと今の時代ってのはさ、優等生的な価値観がさ、重視され過ぎてはいないか?

 

あのね。テレビがつまらないなって僕は10代で気付いてしまったのね。何故つまらないかもね。

 

僕らが、今、42歳の僕が生きた時代はさ、滅私奉公とか、社会よりも個人が重視された時代で、今はきっと、そのカウンターカルチャーの最盛期なんだろうなって思っていてさ、個人が社会に先んじると言うか、小さき声を聞く民主主義の進み過ぎた世界と言うか。

 

あのね、誤解されることを覚悟して言うのだけれど、結局、人間と言うか、価値観にはさ相容れないベクトルの違いと言うか、レイヤーの違いと言うか、とにかく多くのベクトルがあり過ぎて、自分自身の中ですら渋滞している。

 

個人が尊重される世界は、現在のコンテキストから言えば歓迎すべきだと思うのだよ。でもね、その究極的な状態はカオスで、悪い訳じゃないけどさ、なんか、ちょっと飛んでしまうかもだけど、多分、他人の幸せを喜べるのは、自分が、世間的に幸せだと思えた時、つまりはだよ、その人が世間的に余裕がある時なんだと、思うのよ。

 

あれ?何を言いたかったのか?

 

なんかね、頭の、理性の、理屈の、そう、誰かにわかってもらえる、説明できると思っている僕の性癖って言うか、好みの傾向性なんてのはさ、結局の所、共感はできているって言う勘違いや、願望でしかないんだよね。

 

だからこそ…あ、ヤバイ。トイレ行きたい。

お漏らしはしたくない。

 

あ〜これだ!

この矛盾だよね。矛盾と言うか広義な共感覚

 

僕が不快なことが多くの人にとって同じく不快であると言う事実と、そのプロセス、要素の違い。

 

なんか、そろそろちゃんと、体系的に僕の思想とか、考えたことをまとめたい。残りの人生をそこに費やしても良さそうな程に、ゆるく、願望が出てきた。