幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

世界は関係でできている

後で、アフィリエイトWidget貼るので、買うときは、それ踏んでくださいな(笑)

 

さて、珍しく書評の体で始めたいと思う。

タイトルに付けた「世界は関係でできている」というのは、本の日本語タイトルではあるのだけれど、僕の世界観でもあるのだ。

 

本の内容は、論理物理学?量子力学?それさえわかっていない僕の読み取った内容だから心許ないのだけれども、要するに、世界の最小単位だと思われている量子は物質と存在していると言うよりは、観念的と言うか、属性的と言うか…ハイゼンベルク不確定性原理で言うところの、観察者と対象との関係性によって、逆に?と言うか、その不都合を説明する理屈として、関係性こそが、世界の最小単位だ、みたいな話、だと思う。

 

学生時代、僕はキルケゴールを研究している教授のゼミに入った。あ、僕、哲学科出身なのね。でね、当時の僕が何故、哲学科に入ったかと言うと、1998年当時?まぁそんくらいの年代に流行った本でさ、「ソフィの世界」ってのがあったのよ。哲学界の偉人の結論を集めてストーリー仕立てで紹介する様な本だったのだけれども、それでハマって哲学という学問を知った。折しも、第一次エヴンゲリオンブームだった事もありん?哲学が注目されていた時期だから、ミーハーって言うか、社会の流行にブルンブルン振り回されてる、どこにでもいる高校生だったわけなんだ。

 

でもさ、なんで僕が哲学に惹かれたかって言うと、多分だけど、映画が好きで、いつか作りたいって思っていたからなんだよね。

 

で、色々調べていてさ、映画の作り方とかね。最初は監督になりたかつたのだけれども、だからこそUCLAに憧れもしたし、当時好きだった娘が高校生時分にイギリスへ留学してたこともあって、カナダにゆくのだけれども、当時はさ、僕は、映像にする前に、読む前に、ストーリーが伝える、メッセージが無くてはならないのでは無いかという、勘違いをしていたんだよね。

 

タランティーノとかエンタテイメントに振った監督も好きだったし、その作品見てもさ、僕は何かしらを学べるだけの感受性を持っていたし、スコセッシの作ったケープフィアにも何かしらのクッソ真面目なメッセージを感じ取ってしまっていたのだよ。

 

改めて見返すと、ケープフィアなんて狂った映画だと思うし、今の日本の社会的な感度を考えたら絶対に放送されないだろうなって思う。

 

でもさ、若い僕は、かっこいいデ・ニーロとカワイイジュリエットルイスにメロメロになり、好きな映画の1つになっていてさ、あぁ今でも良いなって思うのは、まだまだ僕は若いと言うか、ガキなんだなって思うのだけれど、まぁとにかく、サスベンス?映画にも僕は面白い以上の感想を持つような子供だったのよ。

 

ん?何を言いたいのかな?まぁアレだ、とにかく、当時、僕はさ、映画にエラク影響を受けていてさ、あぁ人に影響を与える術としてエンタテイメントって大事なんだって知ったのね。

いやさ、別にさ、僕はエンタテイメント、エンターテイナーになりたい訳ではなかったさ。単に、楽しいことが好きで、無邪気に、誰もが幸福になり、幸せな人生を生きて欲しいと願う、頭の中がお花畑な、きっと、理想的な、幸福で、とてつもなく不幸な子供だったのだと思う。

でもさ、じゃ自分がどう生きたら良いかって答えは何も無くてさ。短絡的に、人の不幸を望まない人にはなりたいと思ったけどさ、幸福が相対的なものだと思ったらどうでも良くなった。

 

あ〜何してるんだろ?

もう終点に着いちゃったのでここで無理やり終わる。

 

いつかさ、書こうと思うよ続きを。

 

本当はウクライナのこと書きたかつたのだけれどもね。