幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

そりゅ〜しょん

解決すべき問題って、実は、もしかしたら存在すらしていないか、多分なんだけど、少なくとも極めて個人的なもの何じゃないかと思うのだ。

 

例えばで言うとさ、景気の問題って、一般的な、誰にとっても、影響のある問題だと思っていたのだけど、最近、実は違うんだなって気づいたのよ。

 

これは、僕の独善でしか無いのだけれども、僕は今、決して不景気ではないのだよ。

僕が、僕の人生においては好景気だからかもだが、景気にすら個人差があるんだよね。

でもね、僕の人生においては好景気なんだろうけど、じゃ世間様と比べて裕福かって言われたら決してそんなことは無く、統計的なデータで比較すれば、多少は多くもらっているのかな?って思い込める程度の好景気だ。それが、僕の好景気たる根拠なんだけどさ、それすらきっと曖昧模糊とした比較対象ではあるんだよね。

同世代の、同じ様な学歴、ステータスで比較したら多分、中の下位の収入なのだけれども、全労働者って比較対象では、そこそこの年収だし、前職と比較して実生活での余裕を感じているからってのもある。

もしかしたら、自分の体感と、自分に都合の良い客観的な、そう思える数字が、僕に自分的には好景気っていう実感を支援していて、自分に都合の悪い情報を利用して、不景気と思う事で、さらなる利益を望んでいるのではないか?とも思うのだ。

 

そう考えるとね、正直、キリ無いなって思うんだよね。

 

収入って言う点であれば、ぶっちゃけ僕のピークは20代後半だったのだけれども、その時は、お金は貰えていたけど、使う暇が無かった。無いと思っていた。

 

その時に僕が思っていたのは、世の中チョロいなって事。僕ごときの時間が拘束されるだけで年収で700万くらい貰えてたのね。当時は、ITバブルが弾けたものの、時代がICTに、グッとシフトした時代だった。非エンジニアでバカみたいに残業しての収入だけどね。

 

んで、まぁ今はその当時より、収入は低いのだけれども、少なくとも、その当時や前職の塾の先生やってた頃に比べたら、収入的にも時間的にも、ある程度熟慮してお金と時間を使える余裕のある生活をしていてね。多分当時よりは、有意義に生きている気がするのね。

いやさ、たぶん僕はどんな状況であっても、無理矢理にでも自分が幸せだって思い込む様にする癖があるからかもだけど、結局の所、多分だけど、自分がどう思うのか?ってので、自分の幸福度をコントロールしようとしてんだよね。

 

で、多分だけど、その為に人は現実を都合良く、書き換える。嫌、都合の良い客観的と思われる情報を拠り所にして、信じてしまうのだよね。

 

そろそろ、酔っ払って来たので無理矢理閉めようとするのだけど、要はね、解決すべき問題は個人的なもので、きっとそれは個人的な信仰に近いものなんだと思うのだよ。だからね、社会的な問題って事で、大事そうな問題とさ、あなた個人のもんだいでさ、上下尊卑の価値スケールなんて無くてさ、困ったら、精一杯大きな声で叫べば良いさ。それを、僕は選択して、きっと助けようとして、自己満足を得る人生を生きるから。

 

結論。

何も解決しなくて良い。