多分、一人の人が人並み以上の結果を出すには、物理法則を精神理論にまで応用して行かなきゃ難しいんだろうな。
昼ご飯を僕は悩んだのさ。
出掛けに、母から夜が焼肉になると聞かされ、昼はアッサリ系を考えていた。けどさ、じゃ寿司か?って言うと、悪くはないんだけど、食べすぎることは無くても、多分飲んでしまう。海鮮丼系も埼玉ではなかなか難しい。じゃ、蕎麦はどうだ?なんか結局のところ蕎麦は天ぷらやらのサイドありきだし、なんか違う。となると、僕には選択肢がもうなくて、いやうどんもあったけどさ、うどんは炭水化物の塊みたいなもんだし、結局蕎麦と寿司で悩んだ結果、ドミノピザでサイドを買って帰った。
もうね、何をしているのかと。
結果として数年ぶりというポイントと最寄りの駅からの距離によって、僕はドミノピザを選んだ。最早、最寄りの駅に着いた段階で、CoCo壱番屋かドミノか、スシローかの三択に絞られたのだが、結果、久々って理由で選んで、まぁ満足だった。
たぶん、こんな僕の選択は度々発生している。
悩むこともない程に、欲求がハッキリしていることなんて多分稀で、でも、きっと僕らの悩みの殆どはこんなものだと思う。
哲学的な悩みを、なんかとてつもなく大事な悩みのように思っていた時期もあるのだけれど、それはある意味で幸せなことで、悩める余裕と言うか、フラットな環境で、自分で決定できる環境なんだと思う。
でもさ、僕らの現実は、腹が減れば何でも美味しいし、そこに意味なんて多分無いんだよね。
満たされていて退屈な世界と飢えてはいるけど、明確な欲求と、それを得られた時の強い幸福感。
どっちがより幸福か?
多分、ナンセンスな問で、僕らの人生にはどちらも必要なんだと思う。
だから、とは言わないけど、きっと、極端なことも、バランス取ることも、そこそこ出来る自分であることが大事なんだと、理屈の上でわかった。