幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

理由

法則というものを誰が見つけたのかはしれないが、そいつのせいで僕らは理由に支配されている。

正確にはさ、多分、僕らはその法則を使って、少しでも自分に都合のよい結果を得ようとしてるから、支配されるのだけれども、それはいつしかパチンコに興じるサルのように、期待に支配され、法則とも言えないが、何かしらの理屈、因果論的な原因と結果の間を繋ぐ信仰に至る。

 

えっちな事したい欲求は愛となり、相手が誰でも良くない理由は詩になる。自分を考える時だって、デカルトでさえ、結局のところ自分という単位に囚われて、その自分という存在が何たるかまでは思慮不足の感がある。

 

何を言いたいかと言うとさ、結局のところ、僕らは何もわかっていなくて、何かをわかるというのさえファンタジーとも言えて、ても、現実に感じる快、不快の感覚、というのには何かしらの傾向性と言うか、法則性があるように思えて?いや、違うな、そう思わないと、僕らの意志は方向性を失うのだ。

 

だから、理由が、理屈が必要になる。

 

そう、僕らは僕らが解釈するために、理屈を生み出しているのではないか、と思ったのだけど、まぁジャストアイディアだよね。