幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

権威

僕は、宗教の存在価値を、生きていたらどうしても遭遇してしまう、生きる意味や、死の、死後の世界を、日々の生活に追われる生活者に代わり追求して、正解ではないかもしれないけど、それなりの納得できる理屈を用意してくれるところにあると思うのだ。

でさ、その構造としては、小さな正解を積み重ねて、誰も正しいか確認出来ない死や、死後の世界についても、なんとなく説得力を持ってしまっている状態なのだと思うのね。

それって、つまりはさ、宗教の権威化なんだよね。

 

それ自体が悪いとは言わないし、それはたぶん効率的な、社会と言うか、世界?いや、違うな、生きる意味や死ぬ意味をも包括した、ある種の、カントの言うところの定言命題のような、何かを求めるなら、何かをせよってな感じのルールの根拠ともなるそういった存在?理屈?人の認識様式?なんて言えば良いかはわからないのだけれど、僕らは恐らくは、何かしらの確からしい何かを基礎にして、世界を、それぞれの中に構築しているのだと思う。

 

急にさ、僕の下世話な悩みになるのだけれど、たぶん僕はEDで、それ故に上手いこと恋愛が出来ていないと、思っている、と思おうとしている。

 

実際のところは、単にネットでいくらでも見れる美しいポルノに毒されて、勃たなくなってるだけなんだろうけど、それはそれで真実のような気もするしね。

 

要するに、ネット上のポルノとリアルなポルノ、と言うか、そういう行為との間に、差があり過ぎて、それ故にリアルで勃たなくなっている人が出てきているんだと思う。んで、たぶん僕もそうで、先進国における少子化の、割合こそ僅かだろうけど、原因にもなっているのだと思う。

 

僕らは、知りすぎたのだと思う。

宗教が埋めてくれていた、考えても答えの無かった世界が、数式や理屈で説明できるようになってしまったことで、それでいて根本的な死や生の意味って言う事については仮説しかない状況になった事で、僕らはカルトのような、極めて狭い範囲でしか通用しない理屈に、自分のあり方を求めてしまって、神が死んだ以降の世界をなんとなく生きている。

 

そろそろ目的地に着く。

 

だから無理やりまとめるけど、要するに、僕らの宗教はクラスター化して、更にそのクラスター化にさえ気付かない状態で、大きな単位で、言葉で物事を語り過ぎているのだと思う。ニーチェの時代から比べたら、僕ら人類が扱う単語数は多くなっているはずなのに、僕らは、彼の言う力への意志を、彼の時代と同じ意味で捉えられると信じている。それがさ、きっと現代人の傲慢だし、限界。

 

何かを言いたい訳じゃない。ただただ頭に浮かぶ言葉を、現世の、いや現世に生きていると思っている僕の価値観に照らし合わせて並べているだけ。

 

この行為に意味なんてない。だけど、こうすることで、たぶん僕は救われていて、もしかすると、僕のこの自分勝手な理屈に、救われる人が、いるかも知れない、と期待はしてないけど、でも、ネットの可能性ってそういう事だとは思うんだよね。

 

あ〜頭の中を全部掻き出したい(笑)