哲学的な話。
僕らは、瞬間にしか生きられない。僕らは、今しか生きられない。
それと同時に、僕らは意味の世界、因果の世界、時間というベクトル、生きられる今の連続性の中で、自分自身さえも意味に組み込もうとする。
僕らは、感覚器官の総合で、その感覚に意味を与えて、評価する。
それが人間の二面性と言うか、今しか生きられない意識と、その連続性から来る自分と言う自覚?単位?そんなものを評価して自分とそれ以外を区別して、もがいている。
僕らが唯一生きられる今は、その瞬間には意識できず、過去になってしまってからでしか意識出来ない。なので、僕らは過去になった瞬間を集めて、そこに理屈を見出し、まだ見ぬ未来に照射する。
つまりはさ、今しか感じられず、今にしか生きられないのに、僕らは今を評価するのに過去に、対象となった謂わば静止画を積み重ねて、今のストーリー、つまりはさ動画的な解釈で今を規定し、ほぼほぼ過去である今を意識している。
何を話そうとしているのか?
僕自身にもわからないけど、でも、今の僕が、感じる世界について、言葉、共通理解に繋がるツールを使って表現しようとしている。
それが、完全に合一することが無いのは、救いでもあり、絶望でもあるけど、僕はこうしないと、生きていけないのだ。
それは、社会的にではなく、僕自身の価値観での話だけれど…あぁそうか、そういうことか、昨今のゾンビエンタテインメントの流行には、こんな背景があるのかもしれないね。