幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

世界の、公然の、秘密っぽいブラフ

さほど書きたいことでもないし、正直に言えば、書ききれる内容では無いと思っている。

 

最近、瞑想を試みている。そして、参考にしている動画がいくつかあるのだけれど、共通して言うのが、湧き上がる思考を観察すると言うこと。それは、メタ認知なんじゃないかって事はいつか書いたように思う。

 

僕の都合の良い思い込みなんだけれども、瞑想の効能と量子物理学の僕の理解している範囲では、何かしらのシミラー、共通項と言うか、関係性的なモノを感じてしまうのだ。

 

瞑想がメタ認知であるならば、瞑想によって得られる思考の観察は、ある意味で量子のゆらぎを特定する観察と同じで、僕らはメタ認知を得るまでは、箱の中の猫なんではないかと思うのだ。

 

このことは量子物理学で言うところのゆらぎを使わずとも、当たり前って言えば当たり前の事で、僕らが、自分自身のアイデンティティとか呼んでいるのは、つまるところは、過去の自分に対する評価が統合されたように見えるものだ。僕等のアイデンティティが僕等自身ではあり得ないのは、僕等は今という瞬間にしか存在し得ず、観察、評価される対象は常に過去における、言語化された、あるいはインデックスされた事情群と、それらを材料に組み合わされて作られる未来の事情群であり、それらをいくら集めて見ても、僕っぽいものにはなるけど、それを僕だとは言いたくは無いし、言えないと思うのだ。

 

文が長いな(笑)。そして解りづらい(笑)

 

もっと卑近な例で言おう。

僕は、極めて簡単に言うと、43歳の比較的健康な男性である。男性であると言う定義を、性的には女性では無いと共に、最近はややこしいけど、性的な志向としては女性を求めるものだとする。そんな僕が、酒に酔った状態で、なんの脈略も無く僕にとって魅力的な裸の女性と密室にいる状態だとする。その時の僕の反応を考えるに、僕はおそらく、そんな有り得ない状況に怯え何もしないだろうと思うのだけれども、僕を少なからず知る人が想像するのは獣のようにその女性に襲いかかる僕なのかも知れない。でも、どちらの僕も現実には存在しておらず、観察され得ない僕なのだ。でも、それを"想像"ってカッコ付けする事で、あたかも本当に存在したかの様に、扱うことができる。要するに、実際に起きた過去の事象をインデックス化して、言語化することで、未来予測の材料にして、予測したり、想像したりした思考も材料にして、それを今に投影して、自分を自覚できているのだと思うのだ。

 

ん〜自分でも何を言っているのかわからないのだけれども、なんか正しいって言う自信だけある(笑)

今日も酔ってるから勘弁してね(笑)

 

まぁ、要するにだよ、僕らはもっと自由に生きて良いのだと思う。その自由が限定的なものであったならなおのこと。そして、自由こそが人を縛り付ける鎖であることを人は理解すべきだと思う。