幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

解像度

人は世界を分割して、究極的に最初単位まで探って量子やら何やらに辿り着いた。でも、実は辿り着いた究極も現実的には究極ではなくて、更に小さい単位に想いを馳せる。

キリがない。

最終的には、唯識に至るのはわかる。

要するに、事実として、論理的に、科学的に更に細かな単位があってもそれをコントロールできなければ意味はなく、それは絵空事、ある意味では神様と同じ価値、つまりは存在を信じてはいるものの、それをどうすることもできず、外縁部と言うか、遠回りにコントロール=祈り、に頼るしか無くて、それは結局のところ唯識、世界に対する人間の態度によって、世界が変わる事を示唆しているのだと思う。

世界をどこまでも切り刻み、どこまでも小さい単位に落とし込めたとしても、僕らは、多分、僕らの解像度でしか世界を把握できないし、そして、その解像度は誰一人として同じであることはない。だから、僕らは、わかり合えるという幻想を夢見ながら永遠の青春を謳歌する。

何かをわかってしまった人を、世界はもしかしたら大人と言うのかもしれない。でもね、多分だけど、僕らのわかるってのはドグマでしか無くて、きっと、永遠に真実なんてわからない。と言うか、わかりたくはない。真実はあまりにも冷たくて、硬すぎるから。

あぁ、こういうことか。要するに、僕らの人生は、僕ら自身にしか意味を与える事はできず、ショーペンハウアーが言うように、人の幸福なんてのは、その人の立ち位置やら世界に対する解像度によって変わるものなんだろうな。

ならさ、狭い世界で、無双できる世界で、解像度高く生きて行くのが幸福なんではないのかな?

あ!なるほど!だから、世界は分断されつつあるのか…ならさ、これが、この考えが、要するに僕らは誰一人として同じ世界を生きていないという事実を、人は知るべき?いや、もう僕はべき論は言わないのだ。もう、有りたいように有れば良いのではないかな?