最近、引き寄せの法則にどっぷり浸かっている。で、これまでも、引き寄せの法則が唯識論だとかいろいろ書いてきたけど、更に深みにハマりつつある。
かねてより、時間というものに対して僕はある意味で独特の捉え方をしていたと思う。端的に言えば、時間というものが、存在していないと思っている部分がある。
唯識論に通じるかも知れないけど、確かにかつて僕は瞬間に時間を意識しなければ、永遠なのではないかと思う、と書いた記憶がある。
で、更にそれを進めて、過去も未来も無いんじゃないかと思うようになった。
僕らは永遠の今にしか生きて無くて、僕らが過去と思っていることは、もう存在していなくて、知覚した記憶としてのみ存在する。
なのに、僕らはそれをあたかも実在する存在するものとして、繫いで線と認知して、その線の延長線上に未来があるのだと思っていて、その未来によって現在に、今を、仮言命題、つまりは「〜したければ、〜せよ」という、条件づけ、何かしらのルールに従って今の行動を規定するようなそんな世界の捉え方をしているのではないかと思う。
だけど、時間というものがなくて、全てが今起きているとしたら?僕らが認知している世界は関係なくて、そこに因果関係や相関関係も無く、ただただ一枚絵が同列に並んでいて、それは動画の編集みたいに、捉え方によっていろんなストーリーを紡ぎ出す事ができるのではないか?
だとしたら、僕らの努力は無駄だ。だけど、多分、僕らの持つ価値観は、その価値観に従った因果関係に基づいた理由が無いと、認知すらできない。
だから、理由はわからないけど、不思議なこともあるもんだくらいの認識で世界を捉えると、きっと退屈のない世界が創れるのではないだろうか?
酔ってはいるんだけど、なんかこの思いは正しいというよりは、これを信じた方が楽しそうだと思うので、僕はそんなふうに世界を捉えて見ようと思う。