幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

平行世界

マルチユニバース論?

僕らは、いろんな可能性があって、その全てが存在していて、今、こうしてブログを書いている僕の他に、もしかしたらあったかも知れない女の子侍らして飲んだくれている僕が、同時に存在しているって話?なのかな?

シュレディンガーの猫。みたいな話なのだと、僕は理解していて、それはどうやら、原始仏教?部派仏教?とにかく、古い仏教の唯識論で言われていたことと酷似していて、なんかどうやら人間という生物の認知の癖、世界の捉え方の1つのモデルとして、到達し易い解釈なんだと思う。

んで、それをオカルト的に?あるいは実践的に、カジュアルに述べているのが引き寄せの法則と呼ばれるものだと、僕は思っていて、生存者バイアスなのかもしれないのだけど、多少なりともそこに期待をしている。

話が大きくなるけど、フィンランドベーシックインカムにより精神的な安定がもたらされたという研究結果が出たように、多くの場合、人が抱える不安の多くは未来に対する不安なのだと思う。その点で、僕が考えている引き寄せの法則や、マルチユニバース的な世界観は、ある意味で、過去のしがらみを無視して、望む未来を得られるというものだと、僕は思っていて、そこに僕は期待をしている。

僕らは、過去から現在、未来にというベクトルで同一の自分だと思っている。

二十歳のころカナダで出逢った年上の彼女と結婚することを信じていた僕と、子供という程では無いけど、自分よりかなり若い女の子と結婚するのかな?って、なんか他人事のように思っていた僕が、同一の僕である事実を思うと、その点と点を結ぼうとするとかなり曲がった僕になる。

でも、そこに本当に連続性があるのか?と問うと、僕は必ずしもそうとは言えず、実際問題として、社会的、法的な観点から言えば僕は年上の彼女に甘えていたときも、年下の彼女に大人ぶっていたときも、同じ僕なのだけれども連続性は無いと思っている。

すっごくダメな例えで、本当に恐縮なのだけれど、二十歳の僕が好きだったのが二十代後半の年上の彼女で、今の僕が好きなのが…あ…今の僕ってことだと、その通りになってしまうのだけど、三十代に女子大生とお付き合いしていた時は、少なくとも僕は世代的な好みという点で同一とは言えない。と、思う。

いや、僕が言いたいのは僕の性癖では無く、人の連続性の話なのだ。

アニメ映画「逆襲のシャア」で、クライマックスのシーン。アクシズの地球落下を防ごうと、ジオンのモビルスーツさえアクシズに取り付いて押し返そうとしていたあのシーンで、僕は、人間の、瞬間性と言うか、結局のところ、不良が捨て犬を拾うみたいな、ギャップというのはたぶん人間の連続性を否定するモデルなのだと思う。

コテンラジオのシンドラー回を聴いて、その想いを強くしたのだけれど、不倫やら経済活動でえげつない振舞をしていたシンドラーユダヤ人に対して見せた善性やヤクザが身内には優しいとかというのと同じ様に、結局のところ、他者から見た時に連続性を感じられない違和感は本人にも連続性を感じられていないのではないかと思う。

だとしたら、引き寄せの法則的に、このブログを書いてる僕の数瞬先には、世界を支配している僕、世の中の美女という美女を侍らしている僕、そんな僕がいても良いのではないかと思う。

いや、僕がそれを望んでいるわけでは無いのだけど。でも、そんな可能性を信じられるなら、僕は生きていける。別に世界中の美女を侍らせたところで、僕は幸せになれるかと言ったらそうではなくて、むしろ、たった一人の、僕の愛する人から愛されていれば、それで良い。

実はそれが何よりもの贅沢な望みなのかもしれないけれどもね。