幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

距離感

今日もやはり酒を飲み、電車で移動していた。

何処に向かうでも無く、ただただ酒を飲むために。

毎週末ごとに見る景色は、いい加減飽きて来ていて、僕の目はスマホの画面ばかり見ている。

仕事=人生だったらこれ程楽で、迷いない行き方もないだろう。僕らが育った時代と日本って国の在り方では、常にアンチテーゼがあって、尾崎豊が呈した疑問のように、幸せを求めていたはずなのに、いつの間にか幸せの形ばかりを求めてしまって、感じられるはずの幸せすら失ってしまう、そんな物語に溢れていた。

 

現在はどうだろう?

youtubeInstagramで見るインフルエンサーたちのキラキラしてるように見える人生と現実の自分の人生を比べてはさ、無駄に落ち込んだり、努力してみたり。

 

多分、44になろうと言う僕が経験した時代と、その対象こそ違うけど、同じ事が起きているのだと思うんだよね。

 

二十歳かそこらでさ人生の目的やら、生きる意味を悟れる人なんて稀で、大半は、それを見いだせなかった大人になる。

 

だから大多数の大人は言う。若いうちからETF買って、一定割合貯金して、年取った時に備えろ、と。

 

正しいと思うし、僕自身、今更ながらそうしたいと思う。

 

でもね、多分それは不幸にならない方法であって幸せになる方法ではないと、僕は思う。

 

サウナ入って、瞑想して、なんか気持ちよくて、それではだめなのかな?

 

贅沢な食事や、美女を侍らして、エッチなことたくさんできて、誰からも愛されて、高級車乗って、タワマンに住んで、誰かの不幸に涙して、良い人だって自覚できる、そんな絵に書いたような幸せを、本当に求めているのかな?

 

僕は、僕を愛してくれる人の愛に応えるので手一。杯だよ。オジサンになって多少、効率的に応えられるようになったとは思う。だけど、それでも、積極的愛する人を増やせる程の余裕は無くて、若い頃には性欲故か、愛しちゃった人が生まれては、手痛い失恋をしたけど、今は多少賢くなって、滅多なことでは愛しちゃったりはしない。

 

心の安寧は得られるけど、そんな生き方は多分つまらなくてさ、バカみたいに、恋だ愛だってドタバタしてる方が、楽しくはあるんだろうけどね。

 

あ…どうしたいんだろ?もういい歳のオジサンなのに、なんでこんな青い事言ってるんだろう?