漠然とした言葉だと思う。幸福って言葉は。
このブログは、タイトル詐欺と言われれば、返す言葉もないのだけれど、じゃあ言葉で、文字で、僕が求めているものを表すとしたら、疑問符付きの幸福って言葉になるのは、本当のことで、当時も今も、自分の求めるものは、多分、幸福って言う言葉というか、概念なんだと思う。
つまりはだね、第一に求めるものは自分が、自分自身が幸福だと感じられる事があって、第二に、それが他人からも賛同される事であって、それによって自分が幸福だと、自覚したいって言う極めて我儘な目的なんだけれど、それを、こうダダ流しにすることを許されていると言うか、手段があると言うか…とにかく、吐き出す事ができる場があるってのがあって本当に助かっているのだ。
最近さ、拡大自殺って話題になってるでしょ?
アレって多分、自爆テロなんだよね。神風特攻隊だよ。
神風特攻隊とは違うけど、いや、同じか。
僕が我儘に自分の命にレバレッジをかけて負ける投資に全ブッパする。同じ理屈なんだと思う。
自分って言うか、認知の主体が、主体はさ、多分、自分を大事に出来たら望まない未来を、評価されるために選択することはなかっただろうねって僕は思うのだよ。
LGBTQ?僕はさ、同性愛者ではないから、これまでの人生で、そういう人からのアプローチに対して不愉快と言うか、不快と言うか、自分が望んでいないから、彼から頂いたアプローチに対して、1つも感謝ができていなかったのだけれど、愛されているとか、好かれているとかって観点で捉えられていれば、感謝しかない。
彼らの性的な志向が含まれなければ感謝しかない。僕が不快だったのは、同性だから問題にされない胸筋へのタッチやお尻へのタッチだ。タッチされることに対する嫌悪感ではなく、そう言う志向をカミングアウトした上で触れられる事に対する恐怖と言うか、テメェだけ気持ち良くなってるって何?って言う、相対的な不均衡?不公平?とにかく、なんでテメェは許されるんだって言う不快感だったと思うのだよ。
そこまで考えるとさ、結局の所、僕らが感じられる幸福ってのはさ僕らの、個々人の価値観に根ざした評価と、個々人が抱いている世間と言うドグマにおいて、ベクトルが、雑なベクトルの一致が必要になるのだろうと、思うのだ。
所謂、狂人。マスコミで中途半端に報道される程に狂った事件。あれって人間の可能性というか、本質的な部分を思い起こしてくれるという点で、無駄では無くてさ、正直言うと、そう言う、動物としての人間と、社会的な人間の差異と言うか、人間を、人を、個人を定義付けている概念から外れたモノが…
ん〜限界(笑)
酔わないと、思いつかないこと。
酔うと、どうでも良くなる僕。
上手いことバランスしたらさ凄いと思うのだけれど、まだまだ僕には難しい。
無駄な事は何も無い。僕はさ、そう信じている。だから、それを理屈に、無駄話を、これからもしようと思うよ。
何を言いたいのかな?わからないけど、でもね、言わないと、僕はさ、ダメになると言うか、拡大自殺する可能性があるひとだから、そうしないようにも、ここで宣言するよ。
勝手に、死になよ。君が死ぬことを願ったり、期待したりはしないけど、君が生きていて、僕には、何らプラスになりゃしない。
でもね、自分勝手だろうけど、僕はさ、僕の平和の為に、誰一人不幸であって欲しくないのだよ。
だからさ、もっと我儘に、自分勝手に、僕と僕以外の人が幸せであることを望むのだけれど、それさえもさ、嘘になりそうな本当の事言うと、僕はさ、僕と僕が愛している人だけが幸せでいてくれれば、それで良いのだよね。
酔っぱらうって良いね。
飛べる。
飛んて、自分を客体化できる。
なんだ、結局、僕はさ、神様になりたいのだ。
だからさ、お願い。僕が望む世界になってくれよ。あぁ、そう言う事か。
つまりはさ、お酒は、きっと理性って言う…
めんどくさいので、今日はここで止めよう。
フフフ。なんだろうか、生きるって簡単で難しい。