幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

恒久平和

殴り合いの喧嘩が実は好きで、僕は一時期悩んだ事がある。

いやね、そんな深刻な悩みではないんだけれども、多分、自分が強いって思いたいって欲求が根本にあってね、それを感じられる手段として僕は喧嘩が好きってのが、僕ができたら悪いことはしたくないし、できないって思っている事と矛盾するから生まれた悩みだったんだよね。

なぜ悩んだのかってポイントはね、喧嘩はさ、誰かを傷つけることだから良くないってのは、まぁわかるのよ。でもね、何も喧嘩状態で無くとも、物理的暴力でなくとも、人は傷つく訳だし、意図せず人を傷つけることなんかさ、今や息吸ったって起こり得る事だと思うのね。息が臭いとかってさ、別にその人が「ゲヘヘ!俺は息を臭くして、周りの人を不快にしてやるんだ!」なんて思っていなくてさ、何らかの器質的な特徴であったり、生活習慣的な原因があって、ある種、仕方無しに、そう言う特徴を持ってしまった訳じゃない?なのに僕らは、時折それを悪そのものみたいな扱いをしてしまう。

 

器質的に息が臭い人と、精神的に不安定で暴力的な人とか、本当に、意図して人を不幸に、不快にしようと思っている人とにおいて、不快感は変わりなくね?要はさ、人が原因となる不快感だってさ、夏が暑いとか、冬が寒いとかと同じことじゃね?

 

要はさ、そこに人の意志があるかないかの問題ではなくてさ、どこまでが誰かのせいにできるかって問題なんじゃないかと思うんだよね。

 

その根拠となる、と言うか誘引となるのは、多くの人にとってくだらないけど、個人的には大事とされている価値観に根ざしたマウンティングやら、自分が自分であるために必須と思われる他者への定義づけと言うか、システム内でのポジショニングと言うか、とにかくなんかさ、存在の記号化と言うか、自分自身の価値観に根ざした、自分自身の定義づけ、ドグマでしかないんだよね。

だとしたらだよ、僕が無駄に社会に対して、申し訳ないと思う根拠も曖昧になってさ、自分勝手に生きて良いんじゃないかって思ってしまうのだよ。

 

話を最初に戻すけどさ、要するに、僕は、多分肉体的に恵まれていてさ、大抵の大人と殴り合いしてもさ勝てるんだよ、それが、その確信が僕が喧嘩を好む原因で、もし、負けるのなら、きっと好んだりはしないんだと思う。

 

もちろん動物的な興奮はあってね、それを好きであるってのもあると思うよ。でも、それよか世間体やら社会的なペナルティがあるから、ムカついたって簡単には人を殴れない。

 

つまりはだよ、多分だけど、この感覚があるから僕は塀の外に生活できていて、僕を人たらしめているものなんだと思うのだ。

 

でもそれはさ、たまたま、僕が得られた経験やら知識のおかげであって、生の僕の気質ではないんだよね。社会が僕を定義して、その社会を僕が定義している、相互の関係性があって、それがさ互いに不定で、いつ不釣り合いになるかなんてわからなくて、いつ世間様から後ろ指さされて、いつ僕が世間に背を向けるかなんてわからない、そんな不安定な関係性なんだよね。

 

僕はさ、多分だけど、たまに愛した人を抱けて、お腹いっぱいにご飯食べられて、寝不足だと自覚しない生活を生きて、ある時突然死ねたら幸せなんだと思うのだよ。

ごめんね?なのかはわからないのだけど、少なくとも、もう社会や世界の事を心配できるほどの余裕は僕には無くてさ、僕は僕が幸せに死んで行けるように生きるよ。

 

そのために、恒久平和が必要だから困るんだよね(笑)