幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

時間と時感

時間は平等だけどね、時感は平等ではない。

40秒で支度しな!

と言う名ゼリフ。40秒は長いのか、短いのか。

それは、人によって違うし、同じ人でも、状況によって違う。

 

哲学的と言うか、神秘主義的と言うかなんだけどさ、永遠の有無をさ考えたときに、僕はね、こう思っていてさ、つまり、永遠はきっとあって、それは、その対象以外に意識できない瞬間が永遠なんだと思うのだ。時間って言う、普遍と思われている、ある種の絶対的な存在、と、思われている存在さえ、相対的にしてしまって意識すらされない瞬間が、きっと永遠なんだと。

 

同じことで、多分、お金も似たようなもんだと思うんだよね。誰にとっても同じ価値の尺度として存在しているから、お金は価値があるのだけど、お金そのものは、変わらぬ価値があるんだけど、その量の、量に対する価値判断はそれぞれなんで、同じ100円が、1.1ドルだったり、0.9ドルだったりって揺れ動く様に価値の揺らぎがあるんだよね。でも、それは、実は価値が揺らいでいるのではなくて、量的な変化が反映しているだけで、それを僕らは価値が揺らいだと思っているだけなんだよね。僕にとって、日本に住まう僕にとってはさ、アメリカで1ドルで1リットルのコーラが買えるけど、日本では500mlが130円だったらどっちが得かって考えるのはナンセンスで、1ドルが260円ならイコールになるんだけど、日本における価値観がコーラの値段を決めていてさ、コンビニで売られている水よりもガソリンの方が単位あたりの値段が安くて、ガソリンを飲めるなら、コンビニで水買うより安い事実を、僕らは考えもせずに受け入れている気がする。

 

バランスを取る、と、言えばそれっぽく聞こえるかもだけど、まぁこれが僕の本当なんだろうね。

 

小難しい事を言って来たが、僕は多分だけど、死にたいのだよ。もう、僕は、この世界にいたくないし、もし、僕が死んでしまっても僕が愛する人達が、悲しまなくて、幸せであってくれるなら、今すぐにでも、死後の世界が無いのであれば、僕は僕が苦しまない手段で死を選ぶよ。

 

いやね、単に僕が死ぬのが怖いから、それを

、そう思い続ける為に論理武装する為に、言葉を重ねるのだけど。

 

要はさ、僕らは理想を抱くべきでは無いのではないかと思う。

 

今さ、目の前にある、事実として捉えられる、君の感じる世界に対して、違和感を感じてしまう事はあるだろうよ。でも、それに対する違和感の源泉をどこに置くかってのが大事なんだろうね。

 

世の中さ、価値を作るってのが大事だし、自分自身の価値に気付くのが、多分だけど、大事なんだろうなって思ったんだよね。

 

あ〜酔っ払わなくても、こんなこと語れる人になりたいな。