朝目覚めたときに、最初に知覚するのが、愛する人の匂いや温もりだったら幸せであり不幸だと思うのだ。
もう、遠い昔に経験した日常。
子供の頃、目覚めたときに母の存在を感じて幸せだったり、一時期一緒に住んでいた彼女の温もりが隣にあったりしてさ、幸せだと自覚ができていた。
それが失われてさ、思い返すと、普段は意識しないのだけれども、幸福だった記憶が僕を不幸にする。
親から離れるのはさ、人としてと言うか、動物として、当然のプロセスではある。そりゃさ、親を必要とするのは、幼体で、成体と競争した時に負ける期間だけなんだよね。人だとしてもさ、楢山節考みたいに、成体となれば、その存続の為に親すら捨てる。意識は、いつの間にか、次世代へ移り、享受者から、教授者へと切り替わる。その移り変わりの時期が、多分人の世の中では、所謂、華なんだと思うのだ。
科学の進歩やら、社会の進歩なのかは分からないのだけれども、この華たる期間が長くなってはいるんだよね。
でもさ、花は枯れる儚さがあって、貴重なのだし、ブリザーブドフラワーのように、時を止めてしまうのは、価値の洪水と言うか、デフレーションを起こす原因になっているのではないかと、僕は思うのだよ。
あれ?何を言いたかったのかな?
タイトルなんだっけ?
あぁポエムか。
心が動くとき、きっと僕の頭は働いて無くてさ、そんなんだから、心が動いていない時に自分の生き様振り返ると、ホント、馬鹿だなぁって思うのだけど、心が少しでも動いているとね、なんかさ、僕は面白い人生生きていられるんだなって思えるのよ。
そりゃさ、もう42だし、世間の評価で言えばさ、結婚もできず、定職にもありつけず(今日現在はありつけているけど)、フラフラしている僕は、決して幸福な人ではないのかも知れないのだけれども、お酒飲むとさ、悪くは無いんじゃないかな?って思うんだよね。
ゲスい話だけれども、オスがさメス抱いて、子供臭いとか、乳臭いって感じられるのはさ、成熟したメスも、年若いメスも抱いたことあるオスにしかわからないことだろうし、年老いても、若いメス抱ける、抱けた、本当にくだらないけど、今の僕を肯定する為に必要な罪なんだろうとおもうのよ。つまりはだね、結局のところ、僕らは、違いが無ければ自覚さえできないし、自分という儚い存在すら保てない。
だから、ポエムなんだよ。
言葉というのが、きっと最大公約数で、地平が広がれば広がるほどに限りなくゼロに近づいてゆく。
あぁなんかすごいことに気付きそうなのだけれど、もう着いてしまった。
運が良ければいつの日か続きを書くよ。