いや、端っから否定しちゃうけど、答えじゃなくて、多分正解が知りたいのだ。
正解なんてさ、最大公約数でしかないとはわかっているのだけど、それでも、そうありたいって想いを抱いてしまうのは、きっと、僕がまだ、僕の人生を生きられていないからだというのはわかっているのだけどね。
誰にも理解されず、共感さえされず、それでも自分を、僕のエゴを信じるだけの強さ?違うな、思考の癖?習慣?なんでも良いけど、僕の持つ、信じる理屈に則った変化、プロセスを経ないと多分、僕は信じる事や、期待することはできないのだと思う。
でもね、これまた多分なのだけれど、理屈じゃ無いことなんていくらでもあって、万有引力とか、時間って概念とか、そのものを知覚できないに、確かにそこにあると思うものと同じ様に、僕らはかなり不確かなルールに自分を縛り付けていて、僕はそこからの脱獄を願っている。
哲学的、あるいは量子力学的、いや、多分、オカルト的って言うのが適切だろうけど、唯識論理的に言えば、この世界は、知覚、認知可能な世界は、物質的な刺激と、それに対する評価、つまり、お前がどう思うか?って事の連続で成り立っているのだと思う。
それをさ、10代の頃から言葉で示そうとして、出来ずにいるのだ、僕はさ。そして、多分、言葉では示すことができないのだと思う。
言葉ってのが、やはり最大公約数でしか無いから、受け取り側の認識に依るところが大きいのと、何よりも僕自身が信じきれていないからね。