幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

運の良さ

僕は運が良いと思っている。

ホントに?って自分で疑う程度には、怪しいのだけど。

でも、運の良いエピソードには枚挙に暇が無い。最近では、スマホ落としてもひと晩明けて出てくるし、ワイヤレスイヤフォンのケースを公園で落として、サウナ後に拾いに行って拾えたし、何より、この歳になって彼女らしい人が複数人いる。

マテマテ、と自分でも言いたいけど、確かにそう云う人がいる。それが運の良さと関係してるかって言うと、かなり怪しいのだけれど、でも、運が良いと思う事で、なんとか今の状況を過ごせている。

で、何が言いたいかというと、運の良し悪しを気にするのはつまり、世界に対して、自分に対しての完全コントロールを諦めている、放棄しているからに他ならない。

運も実力のうち、とは言うし、その通りだと思う。けれども、その前提として、自分以上に強大な存在を認め、それに愛されるという事で、そこに努力する余地はあると思う。愛される実力を持っているか否か、その部分では放棄はしていないのだろうけど、何か判断を外部に委ねている状態ではある。

そこ時に、愛されていると思い込めるかどうかってのが、運の良し悪しを決めていると思う。愛されるのに理由はいらない。それは、愛する場合にも言えるけど、愛に理由は無い。だから、努力しようも無いけど、愛される事を願い、愛される要素を自分に付ける努力を僕らはする。

髪の毛イジったりさ。派手な服を着たり。履歴書飾る権威を得たり。そんな努力を僕らはしている。でね、たぶん、自分よりも強大な存在から愛される為に、僕らは美しくあろうと努力する。けれども、自分よりも強大な存在から何を愛されるかなんてわからないから、神を作り、一意の存在にして、愛されるフックと言うか、関係性のルールを規定しているのだと思う。でもさ、繰り返すけど、愛に理由は無いのだ。

だから、と言ってしまうのは僕にとって都合が良すぎるけど、彼女らしい人が複数人いるのは仕方がなくない?