幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

マンボウ

とても繊細な魚らしい。

身体に付いた寄生虫を取る為に、海面から飛び出し、身を打ちつけただけで死に、仲間がサメに襲われたのを目撃したらショックで死ぬ。身体的にも、精神的にもとても繊細な生き物らしい。

基本的にマンボウは深海魚で、普段は海深くに住まい、人が遭遇することは少ないらしい。でも、その独特の風貌で、見たことはないけど知らない人はいないと言った存在だ。

蔓延防止措置がマンボウと略されて、その是非が話題になってるとか?マンボウからしたら迷惑極まりない事だろう。しかしながら、マンボウには悪いがその奇怪な存在のあり方は魚のマンボウに似ている。

何なんだろうか?蔓延防止措置ってのは?適応させる前から東京では飲食店に命令してるのに、発報する意味はあるのだろうか?そもそも論だけどね、飲食がダメならまず電車止めなきゃ駄目じゃない?

電車の中はマナーが守られているから良いのであれば、マナーを守る限り飲食したっていいんじゃない?

なんかさ、きっと世間はある種のステレオタイプによって運営されてしまって、それはきっと量的な、経済的なロジックでの判断なんだろうけどさ、それが正義であるのと最適であるのとがごっちゃになってはいまいか?

 

あなたはだあれ?

と、問われた時、僕らが答えるべき正解は、僕は僕だよってもんだけど、多くの場合、答えるのはきっとオキュペーション、つまりは職業的な事じゃない?そこが問題だと思うんだよね。

これは言葉の性質上避けられない傾向ではあるのだけど、言葉と言うものが現実に存在するものの記号化なので、そのプロセスの過程でどうしても共通しない個性は削ぎ落とされる。そうすると、僕らの不完全な理屈では、言葉はどうしたって、言葉が物理的に存在するものを完全に代行することは無く、どうしても個性の無い最大公約数的な特徴の集合でしかない。

僕は僕である為に僕は自分を言葉であらわすことを控えているのだけど、もしかしたら同じように思う人がいれば、多分言葉というのはそれほど信頼性のあるものでは無いだろう。それはきっと不確かな世界を担保するものなのだとは思う。

でもでも、残念だけど僕らの生きる世界は、多次元的で、次元毎に正しさは違うし、きっと完全には分かり合えないだろうけど、それでも僕らは利用的な世界にも生きているし、数値で測れる世界には多分、唯一無二の正解があるから、少しずつ間違える僕らは生きづらいんではないのかな?

 

一人で酔ってると、こんな事ばかり考えちゃうし、一人で自分を傷付けるような結論に落ち着きがちなんだけと、それ程の勇気もなければ愚かさも無い。

 

そんな僕はきっと、マンボウみたいなんだろうな。繊細で、めんどくさくて、いぎたない。