幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

ケセランパサラン

アザミの綿毛らしい。

なんでも江戸時代から伝わるUMAで、フワフワな生物と言われているらしい。UMのくせにネット上にたくさん写真が載っていて、僕がこんな記事を書くのも、昨日、うちの庭でみかけたからだ。

 

僕が見たケセランパサラン(以降こう呼ぶ)は写真で見るアザミの綿毛そのものだった。

 

1cmから2cmくらいの茶色い軸が四方八方へ伸び、その軸からはビッシリと目には見えない程の微細な白い毛が伸びている。

 

体感しないような微弱な風にさえ揺れ、なんなら多分、僕の吐き出す呼吸にさえ揺れ動く。その様は、幼き僕が見れば動物と勘違いするだろう。

 

きっと江戸時代の誰かも幼き僕と同じような勘違いをしたのではないだろうか?多分、その話が伝わるにつれて、UMAケセランパサランを生んだのだと思う。

 

ここまでは、きっと無理の無い推論だと思う。でも、江戸時代の誰かの見たケセランパサランとアザミの綿毛が同じものであると言う証明にはならないし、時代を経た今からする推論の場合、当時と違ってしまうことがあまりにも多くて、無理が無いと言えるのも、今という、ある地点での話でしかなくなる。

 

ディープフェイクによって、今や動画や写真、音声すら確からしさは失われている。そもそもさ、現実と幻想の境目と言うか、違いって何だ?

 

僕はね、まだ安倍さんの死をこなしきれていない。何かの幻想であって欲しいと願っている。別に安倍さんの事が好きなわけでは無いし、全面的に支持するものでもない。

 

でも、あってはいけないことだと思っている。

 

捕らえられた犯人にどんな思想があろうが、暴力によって意思を通そうとするのは愚行ではあるけど、わかり易く効果的であると言う事実に打ちのめされている。

 

暴力については、多少、自信があってさ、180cm近くの身長と100kg近い体重。スマートではないけど、物理エネルギーで言えば、恵まれた環境だと思う。だから、って繋ぐのは間違いだけども、あえてそう繋ぐと、最後にゃ大抵の場合、どうにかなるだろうなって気持ちがあって、毛嫌いするほどに嫌悪してはいない。でもさ、暴力至上主義でなくとも、暴力によって意思を通すのは、人では無い。

 

でもさ、人であろうがなかろうが、動物の世界においては強さは重要なファクターであり、物理的な暴力だけでなく、言葉やら立場、数まで広げれば、暴力は世界を動かす1つのインセンティブであり、それが為されて得られる結果以上に、為されることそのものに価値を見出してしまっているのではないだろうか?

 

安倍さんを襲った凶弾は、化学式で分析できるし、その軌道は計算できるし、それを受けた肉体の損害や、その修復行為のプロセスも説明も出来るし、理屈は納得出来る。でもさ、その凶弾がなぜ発射されたかについては僕は理解も共感も出来ないでいるのだ。

 

できるのは推論だけ。

 

でもさ、それはケセランパサランと同じでさ、何が本当のことなんかはわからないんだよね。

 

でも、僕らは明日を生きるために、起きてしまった事に対してラベルをつけなくてはならないのだ。そうしないと、いつまでも僕らの頭の中に残ってしまって、明日を生きるのが辛くなる。

 

それって結局のところ自分が、どう思うか、考えるかってのと変わらないと思うんだよね。

 

まとめきれてないけど、とりあえずこれで。