幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

共産主義と宗教と人権と科学と

今、巷間を騒がしている旧統一教会

聞き齧った程度の知識で発言するのは危険だというのを承知の上で、敢えて言おう。

元々、共産主義一神教は相性が悪い。その理由は、共産主義が極端に科学的でその世界には神が住まう場所が無いからだと、僕は理解している。その流れで、旧統一教会は反共産主義という立場で当時の政治のメインストリームに近づいていた。その関係性が現在も維持されていて、それが安倍さんの殺害事件で顕になった。

この何が問題か?特定の、しかも、カルトと言われ、法的にも問題行動があり、保守的と言うか、ハッキリ言ってしまえば、右翼的な感覚から言うと受け入れ難い国家観を持つ宗教と政治家がズブズブだったからか?宗教が問題って言ったら公明党なんて、存在そのものが問題にされなくてはならないのではないだろうか?なので、恐らく問題点は宗教と政治の関係では無く、その宗教の諸々の属性と言うか、附帯された問題行動や保守的な感覚からすると許容し難い国家観が問題なんではないだろうか?

突き詰めて考えると、右翼というのも、日本に関して言えば神道的な世界観が根底にあってある種の宗教なのだと思う。そんなことを言ってしまうと、共産主義も科学という宗教を根底にしているとも言えるだろうし、そもそも、人間が理性的に組織や仕組みを作り、運営する際には共通する価値感や世界観を前提にして議論が為されるのだから、最終的に宗教的な、理性とは別の判断に頼らざるを得ない。

何やかやで、結局のところ、科学も尤もらしいというだけであって、最終的には惰性的に正しいと思われているだけで、きっと誰もを説得できるだけの正しさはないだろう。

 

でさ、人権ってものについて考えると、なんかざっくりし過ぎでいて、結局その考え方の根底にあるのはヨーロッパキリスト教の世界観だから人権って言葉は共通してるかもだけど、その実際はばらばらだ。

 

それもそのはずでさ、解像度の違いで、見えるものは違うし、評価も変わる。僕らはさ、なんか勘違いしていて、完全一致するほどに分かり合えることなんて、無いんじゃない?

 

だからって言うのはかなり無理があるかもだけど、解像度は高くなりすぎるのは良くないのではないかな?

 

人間の視力は下がりつつあるのに、スマホのカメラの解像度は上がる一方なのはなんか象徴的だなって、思った。