幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

SEOとポピュリズム

これは、あくまでも、僕の理解している範囲での話であることを予め断っておこうと思う。

 

僕の理解するところでは、SEO対策と言うのは、webページなりアプリなりをgoogleさんの言う通りに作ると、評価の対象になるよ、と言う知識の蓄積であるべきで、結果として必ずしもそのページの検索結果での表示位置が上位になるものではないと思うのだ。

結局のところ、その知識が検索した人にとって、求めていたものであるかどうか、と言うのが、順位の決定に大きく作用していて欲しいと、そんな僕の願いを表しているのだけれど。けれども、それはそれで、問題がある。ダ・ヴィンチが投獄されたように、世間が望んだ事実と、真実は必ずしも一致しないことはママ発生するからから。

 

ダ・ヴィンチの地動説が科学的に正しいかは、科学的にしか証明されていない。宗教的にはどうなんだろうね?ダーウィンに対する反論は多数、未だに聞くけれど、地動説は宗教的にもこなせた問題なのだろうか?

 

科学的な真実として、実はここ世界が、並列コンピュータによるシミュレーションだったと証明されたとして、僕らの事実は変わるのだろうか?

 

人間が求めた、ルールに対する欲求は、きっと19世紀以降の平等思想に基づくのだと思う。王侯貴族であれ、従わざるを得ないルールとして、神や科学が作られたのではないだろうか?

 

結局のところ、人は自分の信じたいところの真実を信じるのだと、僕は思うのだ。この性質を時の為政者が、宗教や科学と言った、時のトレンドの文脈で自分達を肯定したのが、王権神授説やら、優生学なんではないだろうか?

 

と、なるとだ、今や神に等しいgoogleアルゴリズム。その使いであるクローラー。もまた、所詮は神を目指したアイドルでしかないのではないだろうか?

 

このアイドルは、いくらCDを買っても握手すらしてくれないが、言う事を聞いて、その通り振る舞う事で、生身のアイドルよりも確実に、運営たる神に、太い客で有る事を知らせてくれる。

 

こうして、きっと世界の知覚は歪められてゆくのではないだろうか?我々が知り得る歴史が勝者の語る歴史であるように、ネットの世界もやがて、勝者の価値観しか流通しない歪んだ世界になるのではないかと、僕は酔っ払いながら思うのだよ。