幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

言葉の力

ゲイと女の5点ラジオを聴いていて言葉の力というものについて考えた。

多分だけど、響く言葉ってのは、自分の頭なり心の中に何かあるんだよね。ただ、それを知識として持っていてもボキャブラリーではない状態の言葉が、それをしっくり来る形で使われて、初めて自分のボキャブラリーになる、と言うか、自分のものに出来るみたいな感覚。

拗らせた自意識。

良い言葉だと思う。と言うか、実感として僕は自意識を拗らせている。

15年前、いや、もっと前だ、17年前か…キリが悪い。ま、とにかく、初めての一人暮らしをしていた24歳の僕は、出来たばかりの川崎駅前のスタバで、ノートパソコンを開きながら、ヤングビジネスマンごっこをしていた。誰一人として見ちゃいないんだろうけど、9時前にスタバで本日のコーヒーをトールサイズで頼み、当時はタバコを外で吸えたので、外のテーブル席でタバコ吸いつつ意味なくノートPC(WindowsOS)を開き、流石にソリティアは開かないけど、EXCELの仕事っぽいファイル開いて、ちょっと離れた駐輪場(無料)から、10時始まりの職場に向かっていた。住んでいた場所からオフィスはチャリで10分なのにね。

 

なんのためにやっていたのか、今となれば分からない。けど、当時はコーヒーメーカーが無いからって無理やりな理由をつけて、貴重な朝の時間を使ってまでチャリを15分かけてスタバに行き、20分かけて職場に向かうという、大凡非合理な振る舞いをしていた。

 

笑い話にしては、少し弱いし、相変わらず拗らせている僕は、似たようなことを今でもしている。

 

毎朝、歩いてたり、毎週サウナ行ったりってのだって、きっと単に気持ち良いからやってるって思っているけど、どこかにコドオジである自分の自己肯定感を高める二次的な意図が無いとは言えない。いつもサウナが気持ち良いわけじゃない。

 

なんだろうね?僕ら世代なのか?多くの若者が自分を探しちゃって、インドまで行っちゃったり、僕はカナダに行ったけど、きっと僕の自分はカナダにも、インドにも無い。そりゃそうだよね、僕は生まれてから7割位を埼玉で過ごしてるのに、そんな僕の自分がカナダやインドにあってなるものか。

 

今やジャージでどこでも出かけられるオジサンになり、それでも、年相応に良さ気なジャージ着ちゃって、あぁ怖い人がセンスの悪い高級ジャージ着る理由はコレか!

 

結局、ボキャブラリーも自分も、きっと自分の中にしかないのだと思う。ただそれに気づくには外側からの刺激なんだろうね。僕らはオズのクリーチャー、星の王子さまって随分前に書いた気がするけど、探しものはきっと、直ぐ側にある。