幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

整う

サウナ好きを公言してはいたものの、果たして世間一般で言うところの、整う経験をしたかと言うと、怪しいと思っていた。

しかし、今日、特にこれといったきっかけはないのだけれど、どうやら僕は整っていたのではないかと思うようになった。

整うって漢字が示す通り、何かが乱れて無ければ、当然のことながら整うって事は感じ難い筈だ。何が有り得べき状態なのかは分からないのだけれども、サウナに入って汗をバカみたいにかいているときは心拍も乱れ、呼吸だって常ではない。それを、水風呂からの外気浴で整える。その時に、なんか日常で狂った何かも一緒に整えているのがサウナの効能である整うってことなのだと思う。

僕はきっと、サウナを好きになってから、ずっと同じことを感じていたはずなのだけれど、それを整っているとは表現してこなかった。だから、と言って良いのか悩むところだけれど、どこかに整うって事に過剰な期待があったと思う。もしかしたら、僕の知っているサウナの気持ち良さ以上に気持ち良い整うと言う経験ができるのではないかと、期待していたのだ。

 

クオリア、あるいは○○のイデアとでも言うべきものがあるのだと思う。

 

沖田総司が美男子だつたと言われるが、残っている絵画は、現代の感覚で言うと決して美男子とは言えない姿だ。土方歳三は、残っている写真を見る限り、現代基準でも、いや、現代の基準でこそ、カッコイイ。ってのと同じように、ある現実が受け取り方によって、評価が変わる事などいくらでもあってさ、もしかしたら、自分の価値観を強く信じると言うか、自分の価値観が世間に受け入れられる、あるいは意図的に、世間に受け入れさせることこそが、本当に幸せになるには必要なことなんではないのかな?

 

僕らはきっと、自分が幸せであるかも、究極的ならないと分からない。他人と比較して、自分の外に物差しを用意して、それで幸せを計ろうとしている。

 

でもさ、オズのクリーチャー達のように、そんなものは予め持っていてさ、それに気付けないことが最大の不幸なんではないかと、思ったんだけど、実はあまり自信はない(笑)

 

僕にとって最高の僕にまだ出会えていないから。

 

もしかしたら、週末にサウナ行って、ビール飲んでる僕が僕の憧れる僕なのかもしれないけれど、ね。