幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

人としての生き方

アリストテレスの偉大さは、言うまでもなく、カテゴライズだと思う。あらゆる事を分類し、体系立てた事により、そこに関係性の力学と言うか、ベクトルと言うかが生まれた。

でね、人って事を、ものを考えた。

今の僕はおそらく、200年前の将軍よりよい暮らしをしていると思う。大奥は構えていないけど、少なくとも食べ物と寝る場所、自由さについては確実に将軍よりも幸福な生活を送っている、と、思う。

ただこれさえも、僕の今の価値観と言うベクトルでの比較においてだし、そのベクトルも一本ではなく、複数の軸において総合的に考えての判断だ。

その観点において、人というのは、今の僕が複数の軸において判断するのと同時に、その軸自体の関係性が、体系的な関係性において評価される謂わば評価軸を評価する軸が無限に生まれるような理由の分からない状態に、そのような世界に生きているのだと思う。

と、概念的な事を書けば、なんとなく哲学的で知的な感じはするのだけど、僕の言いたいのはそう言うことではなくて、あ、否、これも言いたいと言うか、察してちゃんだけど、とにかく視点を変えることで評価はいくらでも変わるものだし、その中で僕らは今にしか生きられなくて、今に自分がいる軸の中で、自分の評価を恐らくは情報として保存すると言うか、言語化できない、識別してはいるもののそこから漏れてしまう情報を欠落した状態で措定してしまう。

結局のところ、僕らという、自分たちは、その時々の判断を不完全な過去の世界から抽出したベクトルの定義、カテゴライズの定義によって評価し、判断している。

この構造を真とするならば、人が誤謬にまみれてしまうのは、避けがたいことだし、結局のところ自分が何を信じ、どのベクトルを大事にするかってのが重要なことなんだと思う。

お酒を飲まずにこう言うことを書けるようになったらきっと僕は幸せなんだろうと思う。

人の幸せなんて僕は1ミリも興味は無くてさ、自分が、僕が幸せであることばかり興味がある。

僕独自の軸。つまりは、僕の評価は僕にしかできないけど、その僕が僕一人では存在してなくて、いろんな軸を無理やり1つに束ねたものが僕なんだろうと思う。だから何?って感じなんだけど、そりゃそうさ、書いてる本人がそう思っているんだもん(笑)