多分なのだけど、僕はどちらかというと、防御力が高い。もちろん、攻撃力も無くは無い、と言うか高い防御力の根拠としてあるのは、防御スキルとそれを高品質で再現できるだけのフィジカルな強さと言うか、条件を備えていることを前提としており、それはすなわち攻撃力の前提ともなるものだと、僕は思う。
この理屈で言うと、要するにフィジカルな前提こそが強さの根拠なのだと言える。が、まぁそれはさておき。
攻撃と、防御の違いはなんだろう?僕のイメージで言うと、攻撃は相手を傷つける意図の下行われる行為で、防御はその意図を達成させないために受ける側が発動させる行動なんだろうと思う。
でさ、自衛隊を思う訳ですよ。自衛隊の在り方はさ、攻撃を目的としてはいないのだけど、でも防御はつまり、相手の攻撃主体を攻撃する力であり、そこには、防御力という名の攻撃力がある。
でね、思うのだ。日本国民のほとんどがさ、戦争を放棄した日本国憲法の理屈、自衛隊の存在、その解釈はもしかしたら、相手を傷つけることなく、相手の攻撃に耐え、且つ自分も傷つかない強靭さを求めてはいないだろうか?
そんな絶対的な強さ、強靭さなんて無いし、結局、現実的なところは攻撃力と防御力は、その意図するところが違うだけで、同じものだと思う。それは、いわゆる核抑止の理論と同じなんだと思う。
だとすると、僕が自分が防御力が高いと思う根拠はって他者を傷つける意図が無い、あるいは意図してないと言いつつ、でも実際は積極的に人を殴ろうとは思わないけど、殴ろうとしてくる人を無力化するためになら遠慮なく殴る事ができ、そのフェーズにおいてはおそらくは積極的に人を殴る事を意図するのだろうと思う。
僕のこの考え方が世間的にノーマルなものであるかはわからないけど、でもきっと僕にとってはノーマルなもので、ある意味で僕は核抑止論ではないが、筋抑止論的な意味で、防御的な人間なのだと思う。それを補うのがさ、社会規範であり、人間の総合的な力なんだろうと、僕は思うのだ。