幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

善だとか悪だとか

いや、もちろん大事なんだろうけど、それだけを行動の指針にしてはいけないと思うのだ。

最近、知り合いのご家庭で不幸があって、ご家庭の事情でその子は、見合いをし、婿を迎え、

家を継ぐ覚悟をしたらしい。

僕の浅はかな善意は、彼女がそれをしなくてはならないとは思えない、と言う僕の思想を善意として彼女に伝えかねなかった。

それを伝えた事で、彼女をさらに迷わせ、苦しめるかも、と言う僕のオジサン力がその言葉を止めたけど、もし僕が今以上に彼女のことを好きだったら、女性として好きだったら、きっと恋人候補としての身勝手な善意で、それを言葉にしてしまったかも知れない。

どこにも悪意は無くてさ、善意でしかない、あるいは善意の仮面を被った欲望でしかないのだけれど、それでもきっと誰かしらの不幸が生まれてしまう。それをさ、たぶん多くの人はわかっていてさ…自分の善意に疑いを持つし、それによって極端な行動を抑止する事になるのだけど、悪意なき欲望は、そう言った欲望そのものが悪い訳じゃないのになんとなく後ろめたい気持ちを持つから、善意の仮面を被って、より純粋に蒸留されて、ある意味で狂気をはらんだ純粋さを志向してしまう。

だから、自分が善なるものと思って行動するときは気をつけなくてはならないとは思うのだ。

善も悪もさ、評価でしかないから、プラトンの言うところのイデア、善のイデアってのはさ、翻訳の問題なんだろうとは思うけど、理想や美的な感覚も、結局の所、相対的なものなんだろう。

 

だとしたらだよ、善とか悪とかって、どんだけ意味があるのかね?