幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

ゲーム性と公正世界仮説

ゲーム理論というのを、僕は実は理解はしていない。

 

ゲームというのは、ルールの中で偶然性が選択肢を決定する要素を持つものだと、思ってはいるのだけれど、ゲーム理論ってのはそう云うことを言ってはいないのだと、思う。そう云う定義で言えば、人生はゲームだ。

 

でさ、公正世界仮説だよ。

簡単に言ってしまえば、世界が因果応報のルールに則って運営されているという仮説。

 

因果応報とかってのはさ、良いことすれば良いことが返って来るとか、そんなルールじゃない?でもさ、良かれと思ってってのもあるでしょ?ルールに従って行動してたとしてもさ、期待した結果が得られないとかザラにあるじゃない?だから仮説なんだろうけど、でも、どこかに僕は公正世界仮説を信じたい気持と共に、ある種のファンタジーとして理解をしている。

 

悪いことに、それをさ世の中の真理と思っている人と僕とでは、見ている世界は同じなのかもだけれども、解釈が違っている。当然の事ながら解釈が違えば、評価も違うから、美しいだけの正しさとか、醜い程に圧倒的な暴力というものが存在する。

 

いやね、ガキの頃から思ってはいることなのだけれども、絶対的な存在というものは、恋い焦がれても存在し得ないのだ。存在するとしても、それはその存在の側面を捉えて、抽出して僕らの知覚に収まる様にオミットされてしまう。

 

美しいだけの正しさも、正しさと美しさのベクトルに副えて測った、その存在の側面でしか無く、そうね、抗がん剤みたいなものである可能性は否定出来ないんだよね。

 

圧倒的な暴力も同じで、核兵器は兵士だけ選んで殺しはしないし、その点で醜いのだけれども、通常兵器と比べると圧倒的で、圧倒的であるからこそ、絶対的ではない。

 

強引だろうけど、公正世界仮説の前提ってのは、公正を担保するルールが必要で、それは、そのルールはさ、ゲーム性が少しでもあると成り立たない。

 

そして、運命とかってのもそうだけど、公正世界仮説が成り立つ程にガチガチなルールで予想された世界を僕らは生きて行けるのか?

 

多分、無理。

運命や公正さが、不完全で、僕らには夢見る余地があるから生きて行ける。

 

そしてそれはさ、トータルでの還元率が90%代に設定されているパチンコやを打つのと大して変わらない。

 

僕らは何に抗っているかもわからないままに、自分って言うひどく不確かな定規を手に入れようとしているだけなのではないかな?