幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

正しさ

正しさってさ、プラトンイデア論と同じ構造だよね。

現実に起きた事を、何か概念的なこうあるべき的な雛形と照らし合わせて、正しいかそうで無いかを判断する。

 

でも、正さの雛形は人それぞれで、唯一無二、絶対的なものはなく、多くの人はそれをわかっていながら、いや、いるからか、自分の正しさの雛形こそが正しいと思い込むためのエビデンス武装しようとする。

 

僕はね、自分でも馬鹿だと思うけど、人は、少なくとも僕は、悪いことは出来ないと思うのだ。厳密には、悪いと思っていることは出来ない、かな?

 

いやいや、そんなことはない!と、僕自身でもツッコミを入れられる。確かに、僕らは悪いと思いながらもしてしまうことってある。でもね、単純に悪い事をすることは出来なくて、その判断を手放しに同意することはできないけれど、ても、悪い事とわかっていながらやってしまうときには、何か別の正しさによってその行動が支援されているのだと思う。

 

すっごくダメな例だけど、好きな人がいるのに、目の前に気持ち良いこと出来るチャンスがあったらいろんな理屈つけてそのチャンスに乗っかってしまうみたいな、そんな話。

 

そんなふうに僕は思っているから、だから、とは言わないけど、自分の正しさに自信は無い。

 

でも、そんな僕でも、なんか判断している訳で、それはつまりはさ何かしら判断の基準になる正しさってのがあるのだろう。

 

それは、僕の動物としての本能なのかも知れないし、時には、人間としての立場や、社会におけるポジション、自分の外にある誰かの正しさとの間に生まれた妥協点的なものである時もあるだろう。

 

僕は常に正しくあろうとして、絶対的に正しくあることは出来なくて、ある正しさの雛形において正しくあることは、他の正しさにとっては大きな間違いなのだと思うのだ。

 

さて、好きな人がいるのに浮気しそうになっている言い訳はできたな(笑)