はて、僕は幸せなのだろうか?
と、考えることができるのは、相対的には幸せなことなのだと思うのだけど、なんかカギ括弧付きの幸せのような気がしてならない。
僕は常に幸せだから、幸せを自覚できない、と言うこともできるのだけれど、外形的に、相対的に、幸せのモデルと比較すると幸せそうにも見えないと思う。
上にも、下にも延々と連なる序列はあって、上とか下とかって言うベクトルが生まれると、途端に点だった筈の僕らに上や下やと言った関係性が生まれてしまう。
偏に、これはおそらくだけれども、循環史観にせよ、直線史観にせよ、方向性、ベクトルが生まれると、そこに因果関係とまでは言わないが、相関関係は生まれてしまう。
そして、常に幸せな僕は、過去の辛いことや悲しいこと、なんなら今の不幸さえ、いつか来る幸せなときの為に必要なことだと、思い込むように、思考が癖づいてしまっている。
それって肛門期快楽とかわらなくないか?
と、甥っ子がうんちやおしっこって言ってケラケラ笑って、それを見て、笑顔になる自分に気付いて、思ったり、思わなかったり。