幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

死ぬという事

父が亡くなって、早2ヶ月。当たり前のように続くと思っていた日常が、今もなお続いていて、それでもやはり父のいない日常は、それ以前とは違っていて、ようやく死と言うものが理解できたと言うか、実感できた。

父は今も存在していて、それは生理学的には存在してないのだけど、僕が生きているだけで、父の存在証明なのだと思う。

おそらくではあるけど、これがアジア的な、儒教的な祖霊に対する態度に繋がっているのだと思う。

キルケゴールの言う死の定義。それに近い印象を僕は持っているのだけれど、生理学的な死と人間の観念的な、頭の中でイメージ?想像?要するに言語化するような存在としての死を、僕の中で死って言う言葉で同居させている。

父の死の前数カ月間、父は脳梗塞で入院していて、僕の日常には物理的に父のいない生活だった。だから、生活面で言うとあまり変化が無い。なので父が生物として死んでしまった今でも生活に変化がなく、生々しく悲しいやら寂しいやらは無いのだけど、喪ったものが何かわからない喪失感だけが、僕の中にある。

これが、死ぬという事なのだと思う。僕ら人間の感じられるいわゆる五感と言われる感覚の他にそれら五感から得た近くから想像とかで補足して創り上げた世界があって、その世界において存在の一側面が欠けたって状況なのだと思う。

つまり、存在は永遠で、地球はその人間がいる限りそんな存在の重さでいつか潰れてしまうのではないかと、危惧している。

何を言いたいのかな?

なんかね、もう疲れちゃったけど、でもそれでも僕は生きていたい。父に愛された自覚があり、それを父に返せなかった事を誰かに、愛する人に返したい。ゼロになりたい。