幸福のヒント?

僕による僕が幸福になるための、ヒント集にするつもりだけど、だいたい愚痴、ときどき妄想、たまに詩っぽいの

五連休

無職のときとか、五連休のときつてさ、生の僕になるから苦手。

 

何したら良いのかわからなくなるから。

 

as ◯◯って思えばいくらでもやることや、すべきこと思いつくんだけど、生の僕は、ただいるだけで、幸せだから、普通の時間軸でいると暇なんだよね。

 

◯◯として。僕らは何か役割を演じることで、初めて自分を自覚できる。それ以外は動物と同じかと言うと、そうでも無いと思うのだ。

 

お手軽に、無条件に、とまでは言わないまでもさ、エッチなことや、美味しいもの、あるいは睡眠みたいな、なんか所謂、3大欲求ってのはさ、人間というよりは、動物に備わっている、種やその個体を維持するために必要な行動を奨励?いや、違うかな、でも、人類の理解では必要だから存在しているみたいな、ロジックで語られているけど、多分、人類はその域を超えてしまっているのだと思う。

 

これは僕個人の問題かもだけれど、僕は生物学的にオスで、女の子、しかも生殖的に有利である若い子が好きなオジサンだ。と、言うと途端に犯罪臭がするが(笑)そこらを歩いている女子中学生に欲情することはまず無いし、ましてや、その能力すらないメスに心惹かれることは…無くはない。いや、ちょっと待って!ここがポイントなの!僕がとんでもないロリコン野郎みたいな結論を出すのは、ほんのちょっとだけ待ってよ!動物としてさ、生殖、子孫を残すことに有利な条件と、人として愛せるって言う程高尚な欲求じゃ無いかもだけど、なんか好きになる対象って違くない?

源氏物語が文学として残ったのはさ、多分、そこに理解がかつてはあったからなんだろうな。より生々しいヒトとニンゲンの関係って言うか、原始的な?ある意味、本来的なヒトとしての欲求?ヒトと言う動物が作り出した社会って環境も含めた、生きている世界?その中で、娘ほどの歳の差と言うか、愛した人の娘を愛するって言う鬼畜な、今のモラルでは許されない?話を美談?として受け入れられて来た?でも、自分の好きな人に似た誰かを好きになるのはわかる気はするから、ただそこに血縁があることで面倒くさくなってる気もする。

 

何が言いたいかと言うとさ、何も言いたくない(笑)

 

もう、どうでも良いや。

 

僕は、そう、僕は自分ひとりでは生きていけないし、自覚さえ出来ない。だから、そう、ぼくは僕以外の全てに感謝していて、多分、それも僕なんだろうけど、ありがとう。

 

言葉って、やっぱり不完全だ。でも、それでしか僕らは考えられないし、最大公約数すら共有出来ない。なのに、それを軸にして世界を捉えている。

 

この矛盾?いや、矛盾もしていないのか。

 

デジタル化する世界が取り残してきた、時間軸で言うところの、識別し得ない一瞬、それが、ぼくは永遠と知っているのに。

 

大丈夫、ちゃんと酔っ払っているから(笑)。

 

こんな怪しい言説、危ないものね(笑)