父の見舞いに行った。
敬愛の対象であり、恐らく人に対する恐怖を持ったのも、父が初めてだったと思う。
暴力を振るわれたことは無い。そこは幸福だったと思う。暴力は、良し悪しあるが、物理的な影響力で精神的な序列をつけてしまうものだから、親が子に振るう暴力はやがて恨みのみ残してひっくり返る。
で、僕の恐怖の対象だった父に暴力という点で、勝てないまでも、負けなくなったのは恐らく高校生くらいだろう。でも、それを確かめる事もなく大人になり、オジサンになった僕は、それでも父が怖かった。
末期ガンになり、痩せゆく父に悲しさを覚え、脳梗塞を患った父に対して、僕の恐怖心が消えた。
するとさ、そこには愛しか残ってなくてさ、記憶が、歴史が、多少影響してはいるけど、なんか初めて父と人として相対せたら、そこには愛しかなかった。
僕の腕の半分くらいの太さしかない父の腕をさすり、麻痺してしまった、左腕の細さに悲しみを感じて、恐怖は消えた。するとさ、意味や目的、未来に対して、過去の経験からの評価さえも無く、たった今、ただの今に愛おしいという想いしかなく、それに基づいた行動しか出来なくなっていた。
つまりは、愛って、愛するってこういう事なんだと思った。
愛は今にしか存在できず、それで完結し、永遠。もちろん、社会に生きる僕らは、そこに浸りきってばかりもいられないけど、愛という関係性、永遠とも言える瞬間を経験するのは人にとって重要なことなんだと思う。
だから、あえて言おう。
愛してるよ。