僕が今更語ることもないのだけれど
通勤電車に乗り、冤罪の恐怖に怯えている身として一言だけ言っておこうと思う。
いいんじゃないのかねぇ?別にあってもさ。
差別だなんだと言いますが、むしろ完全に分けてもらうくらいの方が安心できる。
正直に言うとさ、そりゃ満員電車でおっさんに囲まれるよりは、女の子、それもできれば若い子に囲まれた方がいいよ。でも、実際にそうなったらそうなったで僕は冤罪に怯えて、電車に乗っている時間ひとときも気は休まらない。だって、嘘かホントか知らないが、「腕が10mあれば痴漢ができる」って有罪になる国らしいから。
なんて言うかね、本当に大事なことはさ、痴漢冤罪だとか差別だなんだって話ではなくて、痴漢が発生してしまうほどの混雑具合なんじゃないのかな?
久しく通勤電車で苦労していなかったし、今も10時業務開始だからそれほど混んでない時間帯に使っているからあんまり意識してなかったのだけど、金曜日が9時出勤だったのでピーク時の電車使って驚いた。ありゃ現代の奴隷船だよ。
いや、それ以上に酷いかもね。皆無となるパーソナルスペース、それが視覚的にもわかっているのに、自らそこへ入って行くんだもん。「そんなものだ」と思ってしまえばそれまでだし、そんなことくらい我慢できなきゃ仕方が無いってのも、そのとおりだとは思うけれども、でも、あの中に飛び込むって決断を他にどんなシチュエーションならできるだろうか?
北斗の拳の核シェルターに逃げるシーン。あれさ絶対詰めればトキだって核シェルターに入れてるよね?トキがもし満員電車に慣れていたらきっと、彼も死の灰を被らずに済んだはずだ。あるいは、巨人に襲撃された街から避難する人たち。あの船の方がまだ満員電車よりも余裕があるように見える。子供を優先的にとかって言う判断も働いている。なのに、満員電車では小学生だろうが、中学生だろうが、女の子だろうが関係なしだ。
迫り来る死の恐怖以上に僕らは何を恐れているのだろうか?
遅刻か?
いや、恐れてなんていないんだよね、きっと。諦め受け入れてしまっているのだ。
きっと僕らは毎朝少しずつ自分を殺して、非道な扱いを受けることを受け入れているのだ。
満員電車というのは、もしかしたら社蓄を生むシステムのひとつなのかもしれない。朝っぱらから自分が人間であることを自ら放棄させてから、会社という歯車に組み込む。実に巧妙なシステムだといえる。
「自分だけじゃない、他の人だって苦しいんだ」なんて思って我慢する。
けどさ、誰かが苦しいって言わないと、何も変わらないんじゃない?
皆が苦しむ方法ではなくてさ、みんながハッピーになれる方法を考えられないものだろうか?
是非とも政治家の方にはそういうことを考えていただきたい。
とまぁ、一言どころかいろいろ書いてしまったのだけれど、僕はね、とにかく、ドクター差別とかっていうおっさんのしゃべり方がムカつくのです。実は言いたいのはそれだけなんだけどね。主張がそれを主張する人そのものによって毀損されている格好の例だと思う。