説明はいらない、と思う。
どちらも、ある人にとっては無意味で、ある人にとっては重要な知識。
僕の価値判断でいうと、今は微妙に宇宙の縁に関する知識の方が重きを感じるのだけれど、それも時と場合に、大きく依存する。
ムラムラしているときは、言わずもがな、オナニーの方法が重要度を増すことだろう。
永遠普遍のいつでも等価である価値なんて無いから、人は神様を作り、日本のような多神教文化圏ではその神でさえ相対的だ。
ダイバーシティが叫ばれる昨今では、西洋的と言うか、キリスト教的な一神教の価値観はその存在の根底を揺るがされてしまうような、試練の時を迎えているのではないかと思う。
正直言って、こんなことを言語化することに意味は無いし、僕はいつだって今にしか生きられないし、存在し得ない。それをわかっていてもなお、僕は、自分の連続性やらアイデンティティが大事なんだろうな。